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| 大邱の写真が! | |
| ひろりん | 4/23(月) 12:12:43 No.20120424160927 返信 削除 |
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はじめまして。私の母が昭和5年大邱生まれで、引き揚げまで女学校に通っていたそうです。 母から何度も何度も大邱(たいきゅう、notテグ)時代の話を聞いていましたが、文化や風俗の違う土地のことでもあり、また引き揚げ時に多くの写真を失っており、映像としてのイメージが湧かなかったのが正直なところでした。 こちらのサイトで大邱の写真を拝見することができ、大変うれしく思います。 母が健在なうちに、このサイトを見せてやりたいと思います(離れて住んでいます)。 今はいつとはお約束できませんが、もし公開して差し支えない資料になりそうな写真を借りられたら、その時は添付させて頂きますね。 |
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| 東京大正博覧会:坂谷芳郎の写真 | |
| 高橋忠久 | 4/6(金) 09:37:14 No.20120411150938 返信 削除 |
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拝啓、はじめてお便りします。この度はタイトルに明記しました写真(「東京大正博覧会:坂谷芳郎」)の使用許可をお願いたしたくご連絡申し上げます。敬具 |
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| 無題 | |
| だいあ | 3/2(金) 17:33:32 No.20120306123044 返信 削除 |
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嘉太郎、宇太郎の祖父が藤兵衛だろうと思われます。義父の簡単なメモ書きですので、そこから先はわかりません。 家屋敷、工場は多分空襲で焼失したのではないでしょうか。数々の美術品も郊外に避難させていたものの、空襲で焼けてしまいました。 養子?というのも、確たる根拠に基づいたものではないのです。 それと、公共にとられたというのは小学校用地になってしまったので、その当時を偲ぶものは何一つ残っていないのです。 昔は大きな商いをやっていても、戦局の悪化とともに衰退し、戦後は大変だったと聞いております。大変だったことは言いたくないものなんでしょう。華やかりし頃の話は楽しそうに話しても、大変だった時の話は聞いたことがありません。 今となっては義父に確かめようもありません。 |
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| 浅海琴さんについて教えて下さい。 | |
| ぎんこ | 3/2(金) 15:43:50 No.20120303143055 返信 削除 |
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はじめまして。今、明治時代の女医について調べています。 ひょんなことから、このHPを発見し、浅海コトさんの医院について書いてあるので、驚きました。私は、浅海さんが柳井の人で、釜山に渡って開業したことしか知りません。 もし、詳しい伝記や記事があるようでしたら、教えて頂けないでしょうか。 それにしても「釜山最古参の女医として信頼されていた」という記事は嬉しいです。 |
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| 無題 | |
| だいあ | 3/2(金) 00:40:57 No.20120302111856 返信 削除 |
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宇太郎さんの両親は、七條藤平、ハルです。 長男(兄)は、四代目嘉太郎です。義父のメモによると元治元年とありますのでその年の生まれだと思われます。 加賀屋藤兵衛とありましたので、”加賀藤”の屋号になったものと思われます。 |
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