無題 |
だいあ |
3/2(金) 17:33:32 No.20120306123044 |
嘉太郎、宇太郎の祖父が藤兵衛だろうと思われます。義父の簡単なメモ書きですので、そこから先はわかりません。
家屋敷、工場は多分空襲で焼失したのではないでしょうか。数々の美術品も郊外に避難させていたものの、空襲で焼けてしまいました。
養子?というのも、確たる根拠に基づいたものではないのです。
それと、公共にとられたというのは小学校用地になってしまったので、その当時を偲ぶものは何一つ残っていないのです。
昔は大きな商いをやっていても、戦局の悪化とともに衰退し、戦後は大変だったと聞いております。大変だったことは言いたくないものなんでしょう。華やかりし頃の話は楽しそうに話しても、大変だった時の話は聞いたことがありません。
今となっては義父に確かめようもありません。
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1. けい 3/3(土) 09:43:23 No.20120306123044-1
戦災で焼失して小学校用地になったのですか!学校名を
教えて下さい
美術品の避難先も空襲にあったとは残念です。豪商なので
かなりの品を収集されていたでしょう。
運動会の写真ありがとうございます。当事の雰囲気を感じ楽しんでいます。素麺も造っていたのですね
お店の写真とか広告などはありませんか?
2. だいあ 3/3(土) 16:12:15 No.20120306123044-2
小学校名は、新塩屋町小学校です。統廃合されて教育センターになっています。
当時のお店の写真とか広告などは残念ながらありません。
釜山、思いもよらない出会いにびっくりです。一度訪れてみたい地になりました。
本当にありがとうございました。
3. けい 3/6(火) 12:30:44 No.20120306123044-3
こちらこそ いろいろ教えて頂き有難いです。
加藤宇太郎の周りの人たちの様子が分かり、身近に感じる事が
できました。
新塩屋町小学校(現:教育センター)を覚えていて四国旅行の
機会があれば寄りたいと思います。
加藤宇太郎のご子孫は釜山から山口に引揚、現在は大坂にお住まい
だと聞いています
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