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JR九州  ビートル 2世 

JR ビートル 2世 釜山・博多間の航路を築き上げた高速船の
ビートル」とは「ビートル2世」のことです。

何故 1世はなくて2世から始まったの?
最初にビートルに乗って釜山に出かけた
時 疑問がありました。

写真は博多港で出発前の乗客が乗り込む
様子です。
ひさしぶりにビートル2世に乗ったので
多めに撮っておきました。

(2008/09撮影)
JR ビートル

ビートルの事は この本を読んで参考にした
ことが多いです。
偶然 古本屋さんで見つけたので すぐ購入
して読みました。

航路が出来るまでの様子などを社内事情
を取材して書かれた本なので 良い資料に
なります。

この本の発行は2002年なので、それ以後の
データの記述はありません。
JR ビートル 2世

前方マスト付近です。(2008/09撮影)

この高速船はアメリカの飛行機メーカーの
ボーイング社が15年の年月と、千億円の
開発費をかけて軍用ミサイル高速艇として
作ったものです。

ところが冷戦終了で需要が無くなったので
1974年に設計変更して 兵員輸送高速船と
して売り込み、さらに民間用高速旅客船として
売り出すことにしました。
JR ビートル 2世

1階右舷客室の窓。(2008/09撮影)

1987年川崎重工がボーイング社からライセンスを
買って国内での製造・販売を始めました。

新潟の佐渡島の航路や鹿児島-種子島航路など
国内のいろいろな航路に売り込みを図りました。
JR ビートル 2世

1階船尾。(2008/09撮影)

1990年 JR九州は船舶部門を造って川崎重工から
2隻を購入し、「ビートル1世」は博多・長崎航路、
ビートル2世は博多・釜山航路の国際線に就航
させて新たな旅客売り上げを期待しました。
JR ビートル 2世

二階客室内の様子(2008/09撮影)

国際線の船は大型船が通常で小型のジェット
フォイルのような小型船は前例が無く、規格や
運用面での規制を越えるため、相当の苦労を
したようです。

信用がついて釜山までの客足が増えるまでの
当初 数年間の赤字経営で経費節減・節約や
欠航時の手配など運営面でも大変だったと
記されています。
JR ビートル 2世

朝食は船内で簡単にパンとコーヒーで
済ませました。(2008/09撮影)

ビートルの1便は朝の8:30なので7:30までに
博多国際サーミナル内のビートルカウターで
乗船手続きを済ませる必要があります。

家で朝食を取ると時間が心配なので 余裕を
もって船内で食べるほうが安心です。

船酔いする方は家で済ませたほうが無難です
JR ビートル 2世

二階客室の最後尾は展望ラウンジと荷物
置き場になっています。

新聞や週刊誌などが常備されています。

中央は非常口です。走行中は危険なので
開閉はできないようです。

ビートル1世と2世はこのように曲面になって
3世と5世は平面で両端に2箇所非常口がある
ので見分けるポイントです。

(2008/09撮影)
JR ビートル 2世

ビートルは高速船なので白い航跡がかなり
後ろまで繋がっています。

潮の飛沫が窓に当たり画面の一部が多少ボケる
のは速さを写すことですw

この後 潜水艦とすれ違いました。

  (2008/09撮影)
ビートル2世

2007年に利用者数が100万人を突破し 釜山
航路といえばビートルという名前がイメージされ
釜山が遠い外国ではなく、隣町として、身近に
感じることができるようになりました。

JR九州のビートル2世の活躍で釜山・博多の国際
航路が現在のように発展したのです。
このホームぺージ「釜山でお昼を」が出来たのも
ビートル2世の活躍が背景にあったからです。

図はビートルのグリーン席のパンフから引用
(前部マスト・後部マストは消されています。)
JR ビートル 2世

釜山港に着いたビートル2世の船首の姿です。

これからお昼を食べて、いろいろ釜山市内を
散策したいと思います。

安全運行 お疲れ様です。

(2008/09撮影)


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