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埋立で広がった釜山
Googleマップに明治9年(1876)に江華島条約によって開港した当時の釜山港日本人居留地
の状態を示しました。江戸時代に對馬藩がいた日本人居留地(草梁倭館)は この場所で少し狭い2/3程度での敷地で
石垣で 囲まれた交易の場所 でした。周りは田畑や林、荒地など人家はほとんどありませんでした。当時は 東莱がメインで 釜山鎮までが
人々の住む場所でした。人里離れた郊外の釜山に対馬の居留地を置いたのです。明治の日本人居留地時代になると石垣や塀は撤去され、居留地の外にも自由に移動ができるように
なり、商売で釜山に住む人が増えてきました。居留地内だけでは狭くなったので韓国政府に交渉して埋立の許可を貰い居留地を広げたのです。
桟橋を造り、関釜連絡船も 始まり、釜山駅を造りしだいに広がって賑やかになっていったのです。明治43年(1910)日韓併合で 釜山は釜山府として東莱府から分離しました。
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