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朝鮮キネマ株式会社
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大正13年(1924)7月11日 朝鮮キネマ株式会社は
釜山府本町五丁目に 妙覚寺の 住職 高佐貫長が
中心になり、釜山の経済人や文化人の有志が
集まって設立されました。本店 釜山府本町5丁目19
資本金 7万5千円 払込金 1万8千7百円
代表 名出音一(釜山銃砲火薬店)
取締 加藤清一(加藤医院)
取締 高佐貫長 (妙見寺)
監査 窪田悟楼(弁護士)
監査 田中美登(?)
支配人 阿久津正明![]()
現在の様子です。釜山広域市中区東光洞5街
右は南星女子高校の門です。映画撮影所は伏兵山の側にありました。
ロシア領事館 もこの付近にありました。
(2005/07撮影)
ハリウッドから映画の技術を持って 帰国したトーマス栗原から横浜で映画の撮影・製作方法を
学んだ高佐貫長は、 内地の人たちは朝鮮のことを知らないので、内鮮融和のためには
映画以上のものはないと考えました。
宗教の布教活動にも映画の果たす力は大きいことをいち早く感じ取り、実行に移しました。高佐貫長はペンネームを「王必烈」として脚本を書き、映画の撮影所を見ていました。
具体的に朝鮮人の監督、俳優など多数を育てることを目的として、
最初のハングルタイトルの映画を作ることを考えていました。写真は映画「風雲児」で監督兼主演を演じた「羅雲奎」
朝鮮キネマの代表作のアリランは大ヒットしたのですが、他の作品は
それほどでもなく その後 数年で朝鮮キネマは倒産して しまいました。朝鮮キネマが監督・主演として抜擢し育てた「羅雲奎」は朝鮮キネマの
代表として人気になり、朝鮮キネマの倒産後も映画を作り続け、
韓国映画の基礎を作った 監督として評価されています。
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