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釜山商工会議所
釜山銀行新昌洞支店
明治12年(1879)に釜山商法会議所ができました。
大阪・東京.神戸は明治11年の設立で、翌年には釜山にできています。
明治9年の釜山開港から居留地内で自治を行い釜山居留民団役所が行政を行っていて、
貿易商が拠点として集まり早い時期に商法会議所が必要とされました。最初に釜山商法会議所が設置された場所は本町1丁目にあった三井物産が新築して出て行った
旧館を使いました。
明治26年 釜山港日本商業会議所に改称
西町1丁目に移転しました。
本町の建物は釜山消防組が使用。明治35年 敷地内に 釜山日本商品陳列館
を新築し日本商品の展示をしました。明治41年 釜山商業会議所に改称
大正4年の朝鮮商業会議所令で別々にあった
内地人と朝鮮人の商業会議所が合併昭和5年の朝鮮商工会議所令で釜山商工
会議所と改称釜山商工会議所は明治12年にできていますが
当時の会頭の履歴は分かっていません。
釜山にあった銀行の支店長や商船会社の
支店長が交代で会頭になった事も多かった
ようです。順位不明会頭
川淵正幹:m13 、大橋淡:m20(日本郵船)、土岐僙:m27(第一銀行釜山支店長)、
明治38年以後からは会頭の記録が残っています。
明治38-40:生尾久治 (朝鮮郵船釜山支店長)
明治41-42:迫間房太郎
明治42-45:野口弘毅 (第一銀行釜山支店長)
明治45-大正3:五島甚吉
大正3-4:大池忠助
大正4-5:迫間房太郎
大正5-9:大池忠助
大正9-昭和10:香椎源太郎
昭和10-16:立石良雄
昭和16-17:西條利八
昭和17-20:米倉清三郎
釜山商工会議所議員(大正5年-昭和11年)
米国との戦争に敗れた日本は総帰国することになり、釜山商工会議所は解散することになり、
後は釜山日本人世話人会に引き継ぎました。昭和21年に釜山日本人世話人会が釜山埠頭内に移転した後は不明
戦後の1965年までは韓国人の釜山商工会議所と
して使われていました。米軍病院として使っていた三中井百貨店釜山支店だった
建物が韓国 政府に引渡されると、釜山商工会議所は
旧三中井ビルに 移転しました。残った建物は釜山銀行が新設される1967年から
釜山銀行本店となりました。写真は「釜山銀行十年史」84頁から
釜山銀行本店が釜山鎮に移転した後は釜山
銀行新昌洞支店となり現在にいたります。建物は古いですが昔のままではなく増築
された ように見えます。(2005/05撮影)
旧住所は釜山府西町1丁目7
現住所:釜山広域市中區新昌洞1街7
参考文献全鮮商工会議所発達史 昭和11年5月 釜山日報社発行
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