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釜山日本商品陳列館

草梁倭館

明治10年の釜山開港以前は對馬の人達だけが
交易の為居住する草梁倭館と呼ばれる 区画が
作られていました。

地図では右が北、上が西、左が南
下が東です。

龍頭山の西側には釜山に居留地を置く目的
である貿易用の倉庫地域になっています。

朝鮮の官用交易倉庫だった西大廳は釜山の
開港後は不用になったので、日本に貸与され
当初は共立小学校として使用されていました。

共立小学校が福田町の宴大廳だった建物に
移転すると、倉庫は撤去されて、釜山商業
会議所
の敷地となりました。

釜山に交易の為に日本製品の見本を展示即売
する施設が必要とされ建設が始まりました。
佐賀県立名護屋城博物館所蔵

釜山商業会議所の付属施設として釜山商品陳列館が
明治34年(1901)に西町1丁目にできました。

当時の先端の技術で作られた赤レンガの洋風建築で
緑の蔦が絡まる姿は優雅です。

同じ時期に京城(ソウル)に作られた 日本商品陳列館
趣味の悪さと対照的です。

外見は3階建てに見えますが 1-2階が吹き抜けの
2階建てです。

玄関の両側にある丸い塔の内部は螺旋階段になって
そこから2階の展示室に上り下りをします。
階段スペースで会場が狭くなるの防ぐ設計です。

日本製品を展示する常設の見本市会場です。
もちろん展示だけではなく 販売もしているので
デパートなどの大規模店舗が無い時代なので流行
の品や高級品を求める人たちで繁盛していました。


龍頭山から見た後姿の商品陳列館と周りの様子です。

平屋の瓦屋根の商店や住宅が並ぶ中で目立って
いる様子が分かります。

現在の様子と対照すると興味深いものです。

佐賀県立名護屋城博物館所蔵

釜山商品陳列館跡

出来上がった当時の姿です。

記録によると 韓国の中流階級以上の婦人は普段は
外出をしないし、外出の時は隠れるようにしていました。

ここには流行の品が豊富なので初日から毎日多数の
韓国中流の婦人が訪れ、波及効果が大きいと喜びを
書いています。

館長は田端正平
昭和2年12月から貯金管理所となり釜山逓信
分掌局の 管轄になりました。

佐賀県立名護屋城博物館所蔵


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