東莱邑城(トンネウプサン)
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昔の釜山の中心地は ここ東莱だったのです。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時 釜山の
攻防戦がここでありました。東莱の邑(むら)を囲むように城壁が連なり、
要所には大きな門があり そこから集落に
出入りできるようになったいたのです。平地の城壁や門は街作りのため撤去され
山の上にあった この北門だけが残ったのです。
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北門から北将台と呼ばれる山の頂上にある
見張り台に行く、方向の城壁を撮りました。頂上まで行く気力がないので、この方向は
無視します(笑)
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西将台に向かう尾根はあまり高くないので
この方向に登ることにしました。
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尾根から北門を見たところです。
元気なオバサン2人が登ってきます。
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尾根から釜山地下鉄温泉場駅方向を撮りました。
金剛公園のロープウェイの柱がが見えます。
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写真を数枚撮る内に元気なオバサン2人は
さっさと追い抜いて行きました。遠くにワールドカップ競技場が見えます。
下のは石の城壁ではなく土塁になっているようです。
私も降りることにします。
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西将台です。
最近修復された様子で新しい建築です。
さらに下っていきます。
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警護門の跡地と書いた看板がありました。
ここにも 門があった様です。
公園内は耕作禁止とも書いてありますが
無視していろいろな作物を植えた家庭菜園に
なっているようです(笑)
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急な小道を下っていきます。
ここも耕作禁止の看板があってロープで囲って
ありますが綺麗に畑の畝が作られています(笑)山の斜面まで高層建築物が並ぶ釜山では空き地が
少ないから仕方ない言う韓国の人のおおらかさとも
言えそうです。下は急な斜面で低い潅木の林になっているようです。
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林を抜けると慈悲院と書かれたお寺がありました。
横断幕には「新年の福を受けてください」と
書いてあります。先月の旧正月を祝うためのものでしょう。
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派手な彩色のお寺が韓国では普通ですが ここは渋く
よさげな建物のようです。この道は 看板欄のゴミ投棄禁止に続きます。
資料「日本外史巻之十六 徳川氏前期 豊臣氏中」
その中から東莱城攻防戦の様子を述べた頁をご紹介します。現代用語にしておきました。
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風向きが良くないので10日ほど待っていたけど 小西行長と対馬の宗義智は海路に詳しいので 先発した。
翌日それを知った加藤清正や諸将は怒って波に逆らって出発したけど13日もかかった。
釜山を守ってた将軍の鄭撥はすぐ日本軍に向ったけど銃声に驚きを聞いて城に戻った。
小西行長は 釜山城を攻め、将軍の鄭撥を倒し城をたちどころに落とすと、 兵を2つに分け、西生 多大の二浦を落し多大の守将尹興信を斬った。
捕虞に問うと東北に三十里離れた所にメインの東莱城があることが分かった。
小西行長は部下を集めて言った。 「諸君戦い疲れて休ませたいが、東莱城の準備ができない内に攻めれば勝てる。 東莱城の準備ができてからでは他の武将の応援を頼まないといけないし、手柄を取られてしまう」
部下は奮って攻撃をし、半日で東莱城を落とした。
東莱城の守将宋象賢は堂々と死んだので小西行長は感心して丁寧に葬った。
さらに進んで梁山を落とし、鵲院に至った。
鵲院では韓兵が険しい山に立て籠もったけど背後から攻めたので壊走した。韓の巡察使金碎は東莱城の危機を救うため晋州から出発したけど間に合わなかった。
加藤清正の軍は3日後やっと釜山に到着した。
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