漢城電気は西大門から洪凌(清涼里)までの路面電車の
路線を南大門まで拡大、さらに旧龍山まで延ばす工事を
始めました。
車両もオープンカー客車6台、貨車56台を追加したのです。
明治34年 南大門から義州通りを経て西大門までの
路線も作りましたが、これは収支が悪く数年で廃止。
電灯の契約者の増加で新た大型発電所を麻浦に
作りました。
米国人技師は大型発電所の知識が殆ど無く、新たな
技師を米国から呼ぶコストに合わないので漢城電気は
すべて日本人技師を採用することになったのです。
写真は石炭を入れるスコップを持った
韓国人のボイラーマン
写真:麻浦発電所と発電所内部
京城電気20年沿革史から
路面電車の路線拡大と電灯需要の増加の対応する
追加投資が必要になりました。
そこで米国コネクチカット州のエンパイアトラスト社
という信託会社から資金を借入したのです。
漢城電気はすべての財産を担保として提供し、住所を
米国コネクチカット州に移転しました。
米国で発行された社債の30万ドルを資金に信託会社の
「ヒラム・R・
ミルス」を社長として 本社を米国コネクチ
カット州に置く
新会社の韓美電気が明治37年(1904)に
設立されました。
漢城電気は解散して無くなってしまっていましたが
韓国での電気会社の運営は旧漢城電気のコルブランが
実務を担当していた。
韓美電気の資本構成から韓国王室は共同経営ではなく
投資者の一人になってしまっている危険を高宗は
気がつかなかったのです。
写真は韓美電気設立の契約書と韓国王室の印
韓国電気100年画報より引用