fSvjXcAa9J3OA
Home > 歴史 > 戦争

38度線をめぐる攻防 (朝鮮戦争10)

38度線をめぐる攻防

国連軍が38度線に近づくと 中国軍はこれを阻止する
ために21個師団の追加派兵を決意しました。

国連軍と中国軍が38度線を挟んで 互いに攻撃をかけて
進み、受けて下がるという攻防が繰り返されました。

米国及び国連軍の同盟各国は鴨緑江までの進撃は
困難と考え始め、中国・北朝鮮も南に侵攻する事は
不可能だと考え始めたようです。

戦闘も互いにトンネルや塹壕を掘り、堅固な陣地を
構築し長期戦の様子が見えてきたからです。

依然として強気の総司令官マッカーサーは原爆を使い、
満州を爆撃して決着をつけることを主張し 共産陣営対
自由陣営の全面対決も辞さない姿勢を主張しました。

味方から手足を縛られた状態の戦争だとトルーマン
大統領を 批判しました。

国連軍参加の各国や米国のトルマーンはソ連との全面
戦争に入る可能性がある戦法は絶対避けるという政治的
判断があるので完全に対立しました。



ソ連製の飛行機

ソ連は地上軍は出していませんが最新のミグ戦闘機と
パイロットを中国軍に義勇兵として参加させ 米国の
爆撃機を攻撃して被害を与えていました。

それは米国の出方によっては介入する可能性がある
姿勢のアピールと感じたトルーマン大統領は慎重に
なったようです。

写真:朝鮮戦争に参加したソ連製の飛行機
戦争記念館にて(ソウル)


南:大韓民国 北:朝鮮民主主義人民共和国  : 朝鮮戦争の概要 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15
Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 戦前の絵葉書  . 釜山近代史年表
. 近代史年号一覧