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福岡から船で釜山港に到着すると対岸の影島に
大きな高層アパートが並ぶ一角があります。この場所に かつての日本硬質陶器株式会社の
本社・工場があり、戦前は賑わっていたのです。敗戦のための日本人の引揚げで、空いた工場は
韓国人の手で再開され「大韓陶器」の名称で
運営されましたが、移転しました。工場跡地を利用して作られたのが「美観マリンタワー」と
呼ばれる高層アパートです。
船首の一部がみえるのは釜山国際埠頭に停泊中の「ニューかめりあ」です。
日本硬質陶器は 明治41年 石川県の金沢市で設立されました。
旧加賀藩の前田公爵家を主として資本金80万円で組織されたのです。
大正6年 釜山に「朝鮮硬質陶器株式会社」として
姉妹会社の本社・工場を資本金100万円で 設立
しました。大正9年 両社を合併して資本金375万円になり
社名を 日本硬質陶器株式会社としました。本社は石川県金沢市長町に本社を置きました。
写真は日本硬質陶器釜山工場の正門
大正14年 香椎源太郎が社長に就任すると本社を
釜山の牧の島(影島)に移し、金沢は支社(支社長:
武久剛仁)になりました。取締役一覧
香椎源太郎(釜山)
倉知鉄吉(東京)
飯尾次郎三郎(留任・金沢)
荒川五郎(神戸)
小黒安雄(留任・金沢)
武久捨吉(釜山)
香椎源太郎は陶器を海外への輸出に勤め売り上げを増大させました。
場所 敷地 建坪 職工 年間生産額 釜山工場 15,500坪 6,000坪 800人 200万円 金沢工場 3,000坪 4,500坪 600人 150万円 写真は日本硬質陶器釜山工場の全景
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優良な原料を最新の設備と機械によって加工
大量生産するシステムでした。漸進なデザイン意匠、統一整然とした形状で
製造され、薄利多売方式で価格も安いので
各地に販路を広げていきました。写真は釜山工場の製造風景
世界各地に輸出されて、金沢支社以外に、大阪販売所、
東京販売所、金沢販売所、釜山販売所、京城販売所、
満州販売所を置きました。
ハワイ、スラバヤ、シンガポール、マニラ、にも海外
駐在員を派遣していました。写真は商談中の釜山工場見本室
下がっている電球の形と大きさで大正時代の
雰囲気がわかります。
ラッパのある蓄音機も良いですね
釜山から世界に陶器を輸出していましたが日本の敗戦で釜山の本社・工場は
閉鎖し、建物・機材を残して日本人は帰国する事になったのです。昭和25年 戦後政令により旧会社を整理して日硬陶器(株)を設立し事業を再開。
昭和33年、商号を日本硬質陶器(株)に変更。
昭和58年 商号をニッコー株式会社へ変更。
現在のニッコー株式会社のホームページです。
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