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大邱の朝鮮時代は四方を城壁で囲まれて
いる城郭都市で、中央に観察使の役所
(監察府)がありました。監察府は統監府が出来ると監察道と改称
司法や徴税権がなくなり、行政権限のみに
縮小されました。日韓併合になると監察道は廃止になり、
行政機関として同じ場所に明治43年9月
慶尚北道庁が置かれました。
写真は「大邱一斑」(明治44年発行)から
1.道長官は朝鮮総督に隷し法令を執行し管内の行政事務を管理し所属官吏を指揮監督す
2.道行政の執行に関して管内の警察官に必要な命令を発す
3.管内の行政事務のために道令を出す事ができる
4.府尹、郡守の命令、処分の取り消し、停止ができる
5.道長官は職権の一部を府尹または郡守に委任できる
6.兵力が必要な時は朝鮮総督に具状すべし、緊急の場合 直ちに司令官に出兵を要求できる
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最初の慶尚北道の道庁長官は「李軫鎬」が
任命されました。 2番目は「申錫麟」老朽化した監察府の建物に代わり 洋館建て
道庁舎ができました。鮮南発展史(大正2年)より
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当時の大邱中心街です。
道庁の周囲は憲兵隊分隊・警察署・郵便局など
重要な施設が集まっていました。
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戦後 慶尚北道の道庁は大邱広域市北区に
移転し、道庁跡地は「慶尚監営 公園」として、
整備され大邱市民の憩いの場になっています。この再建された監察府の建物「宣化堂」が
最初の道庁として使われた のです。
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