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聖知谷水源池
釜山に住む人が増えてくる飲料水の確保が大きな問題になってきました。
江戸時代の対馬藩の人たちが 倭館と呼ばれる日本人居留地では域内にある
井戸だけでしたが、明治になって釜山が開港すると各地から日本人がやって
来て住む様になりました。最初の水道施設は釜山居留地民団が寶水川の上流の遠高見山の中腹に 堤をつくって、
濾過し、伏兵山配水池に もってきて、そこから居留地内に給水を始めました。さらに大新町の遠高見水源池を 開発したのですが重要の増加に追いつく 事はできませんでした。
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明治39年に釜山居留地民団は韓国政府と
共同経営で水源池を東莱郡西面草邑里の
聖知谷に 作ることにしました。釜山日本人居留民団が全額出資し、 工事監督は
大韓帝国が行なう契約で施工されダムと市街地を
結ぶ水道が完成したのです。大正3年の釜山府施行から釜山府に継承されました。
100年前に作られた聖知谷ダムの壁です。
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合弁事業なので剄Hした時、両国の年号を
記念に併記しました。哀しい事に韓国では日本がやったことは 全て悪で
あり差別や植民地支配のためであるという考え方を
学校で教えています。そのため、明治42年と書かれた字が コンクリートで
埋められ消されています。
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水源地を守るため植樹と保林に力を注いだ
ことは植民地支配の圧政とされ、韓国歴史では
触れてはいけない事なのです。記録では乱伐で荒廃した山林を復活のため
この聖知谷だけで2,539,600本の植林を
行なったのです。豊かな森林と水に恵まれた場所となった現在
児童大公園となり 釜山市民の憩いの場所です。
釜山の人口が増えるのに平行して飲料水を求める作業は続き 楡梁山川郡東面法基里、
東莱郡北面青龍里に 大正15年から 工事に着手し 昭和16年の完成を予想しています。
(資料が無い為 完成年月日は不明)
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