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墜落した女鳥人 朴敬元(Pak Kyongwon)
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昭和8年(1933)8月7日 帽子から飛行服まですべて新しくし、口紅をひいて、微笑みのなかに女性初の海峡横断の 決意と 故郷訪問飛行の夢がかなう喜びを示していました。 日本・朝鮮・満州の区間をを女性パイロットとして初めての飛行だからです。
当時の飛行はさまざまな危険が予想され それを自ら乗り越える気迫が必要だったようです。
彼女の飛行はライト兄弟の初飛行(1903年)から30年しか経っていません。失敗したとはいえ、多くの偏見などの障害を乗り越えて、女性操縦士が日本から 単独で海峡横断を試みるレベルに進化したのです。
英国から初めての女性飛行士として来日した ブルース夫人を日本代表で迎えたり 女性飛行士として日本のトップにいました。
朴敬元は朝鮮出身であり、日本、朝鮮、満州の民族同士の和を推進したいとする世論の後押し もあり 女性が飛行する話題を集めました。
飛行行技能大会で入賞した賞金で機体を購入したように 金持ちではない朴敬元は東亜日報が後援した朝鮮全土からの寄付と看護婦として 働いた僅かな資金で飛行学校を出て飛行士の免許を取ることができました。
飛行機は陸軍払い下げの中古ではありますがフランスで設計された当時の新鋭のサルムソン です。
機体の名前は朝鮮の伝説で幸せを運ぶと言われている青い燕から「青燕」と 呼ぶことにしました。
午前10時37分 羽田飛行場を大坂飛行場に向けて飛び立ちました。
11時17分 箱根測候所で爆音を確認
その後 消息不明:燃料は6時間なので四時半には尽きています。
到着予定の大阪飛行場では在阪朝鮮婦人会や有力者が花束をもって 郷土の誇りとして盛装で迎え 予定でしたが 何時までも機影が見えないので しだいに不安が広り、無事を祈るだけに。
9日 地元の大邱府でも故郷 訪問飛行を待ちわびる多くの人たちが いつまでも大空を眺め続けていました。 しかし期待した 彼女の愛機「青燕」の爆音は 聞こえることがなく、代わりに入った悲報に悲しみました。
彼女が亡くなったとき 戸籍では33歳(37歳説もあり)。青空への憧れは 男女年齢に関係なく 心の中に燃える情熱だけだと感じます。
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昭和8年(1933)8日午前8時10分:静岡県田方郡多賀村玄ケ獄山中にて大破した機体が発見されました。 血に染まった懐中時計は 午前11時25分30秒を指して壊れ、操縦席の中で彼女は冷たくなっていました。
墜落原因は伊豆地方の濃霧のため方向をあやまり 山に近づき過ぎたため 急上昇、失速、墜落となった模様。
定期旅客機も 気象条件が悪いので、山越えは避けて 大きく伊豆海上を迂回するほどの天候だった 様子で、出発を延期したほうが 良かったかもしれません。
翌日から 始まる関東防空演習のため しばらく空港が使用できない状況と 出発式に集まった後援者や有力者の 手前中止ができなかったのかも知れません。写真は「大坂朝日新聞」から
機体:サルムソン2A2型複葉単発
フランスで開発された軍用機で偵察や多目的で使うことのできる機体として標識登録:「J-BFYB 所沢244号 」所有 朴敬元
多数製造されました。
日本陸軍も偵察機や練習機として使うため約80機を購入しました。
陸軍での名称は「乙式一型偵察機」です。機体デ-タ
全幅11.77m:全長8.62m:全高2.90m:主翼面積37.3m2:最高速度186km/h
自重930kg:全備重量1500kg:航続時間7時間
名前 :幸せ運ぶ伝説から「青燕」と命名飛行予定
7日:羽田 --->大阪
8日:大阪 ---> 太刀洗(福岡)
9日:太刀洗 ---京城(ソウル)
10日
11日 京城 --->奉天
12日 奉天 --->新京(ハルピン)
大邱市史に「朴敬元」のことが載っていそうなので 調べて見ましたが 日本時代の記録を 書くと いろいろ支障がでることが予想されるのでしょう。独立運動史など無難な記述以外はありませんでした。
日韓併合の中で行われたので日本人として記述されていますが 大邱出身の女流飛行家は事実ですから 韓国として誇っても良いと思います・・・・・・・。これは 大邱市史だけではなく すべての韓国の地方市町村史に共通した記述方針です。
日本の時代の出来事はなるべく書かないようにして、抵抗記録のみを残す方針のようです。
朝鮮戦争の後、北に対抗しながら、荒廃した国家をまとめ、建設していくための キーワードに抗日を使ったため 、歴史を見る方向が偏っているのは仕方のないことかもしれません。
釜山図書館で「韓国空港公団20年史」を開いたら彼女のことが少し紹介がありました。
この写真はその記事(117頁)の写しです。直訳すると下記になります
「女性飛行士 朴敬元 1926年日本で 飛行士資格を取得。1933年 母国訪問飛行で大邱に向かう途中 日本上空で墜落、死亡しました」他の男性飛行士のことは 数ページに渡って記述があるのに 彼女のことは 欄外で簡単に書かれているだけだったので 余計に印象に残りました。
その時から 機会があるたびの彼女のこと調べるようにしていました。
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今年(2006年)に朴敬元を描く映画が上映されました。
題名は 彼女の飛行機の名前から「青燕」となりました。
映画を見る為 11月 12月 と 1月に 釜山を訪問したのですが
上映日程が合わなくて見る事ができませんでした。それでDVDを買ってやっと見ることができたのです。
映画の内容は事実とは異なる恋愛をからめた物語ですが
韓国の歴史から忘れかけた彼女の名が映画化で現れる事は
嬉しい事です。
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映画の中で「木部雅子」の名で朴敬元の飛行を
応援する女性飛行士が登場します。彼女の本名は「木部シゲノ」福岡出身の女性
飛行士です。彦山川の河川敷から飛び立って曲芸飛行をした
彼女を子供の頃、 見た事があるという話を元特攻
隊員だった長老から聞いています。戦前の女性飛行士の集まりである「紅翼会」の
方々が中心になって昭和49年に遭難の場所で
40年目の慰霊祭を日本婦人航空協会が行ないました。
木部シゲノも参加して冥福を祈りました。資料: 社団法人日本婦人航空協会機関紙
『婦人航空』
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昭和8年の遭難から50年後の昭和58年 熱海の
医王寺で50年祭が行なわれました。写真は 及位ヤヱ(婦人航空協会理事長)
女性で最初の航空犠牲者になった朴敬元は
航空業界や女性史で取り上げられる名前です。韓国では 人名辞典には載っていますが
知名度は皆無に近い状態です。
平成12年に日本婦人航空協会は日本女性
航空協会に 名称を変更し、 機関紙も名前を
代えて『空のワルツ』になっています。
下記の記事のように 朴敬元の影響を受けた多くのパイロットがいるのです
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この記事は 釜山日報(昭和9年5月)に載ったのもです。 これは一例ですが・・・
彼女は多くの若い人達に飛行への情熱を与えたのです。![]()
翌年(1934/8/7)の一周忌に追善飛行が墜落した静岡上空でおこなわれました。 日本飛行機学校の後輩女流飛行士「 李貞喜」 「正田マリエ」から花束がまかれました。 フロート上の右 伏見飛行士、左 正田マリエ
機上の右 入江飛行士、左 李貞喜墜落個所に地元の上多賀町から慰霊碑が立てられました。
写真は「釜山日報」から
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昭和9年(1934)10月20日 松本キク(25歳)が「白菊號」で、馬渕てふ子(24歳)が黄蝶号と 二機が 朴敬元が果たせなかった 訪満飛行に出発しました。
白菊号は途中22日に永登浦近郊に不時着するアクシデントもありましたが 11月4日無事 目的地の満州国 新京(ハルピン)に到着 大歓迎を受けました。黄蝶号は1日遅れて 11月5日に着きました。
白菊、黄蝶の両機には 男性ベテラン操縦士が同乗していたので女性の単独飛行ではありません。 それでも日本女性操縦士 初の海外飛行には間違いなく、パリの国際飛行連盟は松本キクにハーモン・トロフィーを 授与しました。
写真は「釜山日報」から
参考リンク: 郷土の偉人-西崎キク
朴敬元 略歴
明治34 1901/6/24 朝鮮慶尚道大邱府徳山町63番地
家具職人の父「朴業伊」と 母「張斗禮」の5女として生まれる
本貫「密陽朴」 幼名「願桶」wontong
大正2 1912 信明女学校に入学
大正4 1916 信明女学校高等科に八期生として入学
大正5 1917 退学 笠原工芸講習所(横浜)で養蚕を学ぶ
大正8 1920 慈恵医院助産婦看護婦学校入学(大邱)
大正10 1922 看護婦学校卒業+インターン2年
大正12 1924 日本飛行機学校 自動車部 入学(東京鎌田) 大正13 1925/7/9 東亜日報が記事を書いて寄付を集める 同9/4 同12/12 大正14 1926/10 日本飛行機学校立川分校 操縦科に入る 昭和2 1927/1/28 三等操縦士免許 No-430 昭和2 1927/7/26 金策のため釜山で京城日報の取材を受ける 昭和3 1928/5/8 飛行競技大会3位入賞 昭和3 1928/7/31 二等操縦士免許 No-81 昭和4 1929/2/27
郷土訪問飛行の為に大邱を訪問(釜山日報より)昭和5 1930/11/24 英国女流飛行士ヴィクター・ブルース夫人の歓迎飛行 昭和6 1931/9 サルムソン機の払い下げ許可 昭和7 1932/11/18 整備完了 昭和7 1932/11/20 標識 J-BFYBの登録 昭和8 1933/5/19 京城に飛び新聞社に協力依頼 昭和8 1933/8/7 日鮮満の親善飛行出発・墜落死
参考文献「越えられなかった海峡」 加藤実紀代 時事出版社
「飛行家をめざした女性たち」平木國夫著 新人物往来社
「韓国空港公団20年史」 韓国空港公団
「東亜日報」
「釜山日報」
「大坂朝日新聞」
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