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蔡奎燁

(さい・けいか : 1906 - ? )
     

SPレコード テナー歌手、朝鮮における草創期の流行歌手。レコード吹き込み名は本名の蔡奎燁のほか、内地盤のレコード吹き込みで「長谷川一郎」(コロムビア)、「佐伯周二」(タイヘイ)などあり。

大韓時代の1906年(光武10年=明治39年)3月17日生まれ。京城東光高等普通学校出身。ドイツ人・モイギルクに師事する。

日本大学法科中退後、中央音楽学校(東京市下谷区真島町)に入学、卒業する。中央音楽学校では同校声楽教師でレコード吹き込みもある平井美奈子に師事する。修業時代は大阪音楽学校研究科にも籍を置いていたようである。

京城美術学校、槿花女学校教師を経て中央音楽学校助教授となる。オール日本新人演奏会(読売新聞社主催)、新人ラヂオ放送等に出演。日本コロムビア専属歌手として、朝鮮語と日本語の曲をレコードに吹き込む。

昭和9年(1934年)頃まで東京市芝区今入町(現在の東京都港区虎ノ門)に住んでいたようである。当時は「長谷川一郎」名義で活動し、 『アリランの唄』 『戀ごころ』『丘の夕陽』など、コロムビアでの日本語流行歌のレコーディングはこの頃行われている。

大ヒット曲『酒は涙か溜息か』(古賀政男作曲、昭和6年)を、朝鮮語でカバーした 『술은 눈물일가 한숨이랄가』(直訳=「酒は涙か溜息か」、昭和7年/蔡奎燁歌唱)は日本領時代の朝鮮でもヒットし、その後の朝鮮流行歌に大きな影響を与えている。

参考文献/『音楽年鑑』(昭和9年版)、『コロムビアレコード邦楽総目録』(1935年版)

付記
なお、朴燦鎬著『韓国歌謡史1895-1945』には、蔡奎燁の出身地は咸興(現在は北朝鮮の都市)とある。日本の敗戦後、昔日の知名度を活かしてしばらく韓国で興業活動をしていたが、1949年に38度線を越え北朝鮮に渡り、のちに豆満江流域の炭鉱に送られた末、生涯を閉じたという(同書152頁)。

ふろあ


ふろあ (戦前の朝鮮流行歌レコード)
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