「春の南大門の 髭さんの煙管(キセル)よ~ 煙管は長いが はかない煙よ~」。朝鮮の女性歌手・姜石燕が日本ビクターで吹き込んだ『戀(恋)の南大門』(昭和8年2月新譜)の1番です。
前年にリリースした『いとしきけむり』に続く、姜の2枚目の内地盤日本語流行歌。作詞は西條八十、作曲は全壽麟です。
南大門(崇礼門)は、京城のシンボル的な建築物のひとつ。写真(*1)は、この曲とほぼ同時代の、昭和7年発行の紀行随筆に掲載されている南大門なのですが、参考までに掲げてみました。
1番の歌詞はこの南大門前の情景のようです。よく戦前の朝鮮の写真で、韓服姿の髭の老人が、長~い煙管で煙草をくゆらせているのを見かけますが、「髭さんの煙管」とはそうしたイメージなのでしょうか。
2番は、「春の南大門で 待つ間(ま)の長さよ~ 待つ間は長いが 短い逢瀬よ~」。当時の南大門は待ち合わせの場所でもあったのでしょうか?
3番では別れの描写、4番は「アカシヤ花咲く 五月の別れよ~」となり、南大門での恋も終わります。まさに「はかない煙」!
歌詞だけでなく、メロディも5月のそよ風を思わせる爽やかなもので、作曲者、全壽麟の洒落たセンスが感じられる作品だと思います。
全壽麟は開城出身で、15歳のとき京城に出てバイオリンを修業したのち、バイオリニストで作曲家の洪蘭坡に師事。日本ビクター専属時代の昭和7年に、故郷の高麗時代の古城をモチーフとした『荒城の跡』(李愛利秀=李アリス歌唱)を発表。当時の朝鮮で大ヒットしたといわれています。
全の才能はビクターでも高く評価され、昭和20年まで同社専属で朝鮮盤の流行歌作曲家として活躍。朝鮮人歌手のデビューにも尽力し、中山晋平や西條八十とも交流があったといいます。しかし、戦後の韓国内で大衆歌謡は日本の影響を受けているという理由で、以後はその活動もストップを余儀なくされたようです(*2)。
姜石燕はこの後、ビクターで日本語流行歌『私も泣く』(昭和8年5月新譜)をリリースしています。
(平成24年5月16日稿)
ふろあ
(*1)山本實彦 『満鮮』 昭和7年10月 7頁
(*2)森彰英 『演歌の海峡』 昭和56年3月 33~36頁
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