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戦前の朝鮮流行歌レコード

『志願兵の歌』


(ポリドール19501/蔡奎燁)   

SPレコード

「熱い血潮は若者の 胸に開いた大和魂(やまとだま) 内鮮結ぶ感激に あゝ半島の明けの曲 我等ときあり 志願兵」-。力強い明瞭な日本語の歌が飛び込んできます。蔡奎燁(レーベル写真)が日本ポリドールで吹き込んだ『志願兵の歌』の1番です。

レコード番号からポリドールの内地盤ではなく朝鮮盤なのですが、歌唱は朝鮮語ではなく日本語で吹き込まれています。作詞は富田朝海、作編曲は江口夜詩(海軍軍楽隊出身)で、陸軍戸山学校軍楽隊(大沼哲指揮)伴奏の行進曲となっています。
SPレコード レコードの裏面は『志願兵を送る歌』で、歌唱者は内田栄一(レーベル写真)と増田なほみ、作詞は斎藤悦身、作編曲は江口夜詩です。『志願兵の歌』がやや硬い行進曲であるのに対して、『~送る歌』は親しみやすい流行歌調となっています。伴奏は日本ポリドール管弦楽団。もちろん、こちらも日本語による内田と増田の共唱です。

作編曲を担当した江口夜詩がコロムビアから古巣のポリドールに復帰し、新譜を発表したのが昭和15年1月。また、『志願兵を送る歌』の5番には、「今ぞ明けゆく大陸に 進む日の丸高らかと」と大陸戦線が折り込まれていることから、このレコード発売は昭和15年から16年の日米開戦前の時期と思われます。朴燦鎬著『韓国歌謡史1895-1945』では、映画『志願兵』の主題歌として歌詞が一般公募され、1940年(昭和15年)にレコーディングされたとあります(同書319頁)。

このレコードは、昭和13年から朝鮮で施行された陸軍特別志願兵制度を受けて発売されたものであることは言うまでもありません。こうした時局・軍国歌謡は、戦時下の朝鮮では少なからず発売されたようです(その一方で、別項で紹介した演歌調の『 釜山港』『 西敀浦七十里』や、和製ブルースの『 丹心玉心』のような感傷的な朝鮮語レコードが、昭和15年頃から18年頃にかけて発売されており、決して当時は時局・軍国歌謡一色に塗り潰されていたわけではなかったようです)。

さて、昭和16年12月8日に日米開戦となり、支那事変を含めて戦争の名称を「大東亜戦争」とすることが閣議決定されました。17年にポリドールは、敵性語となった横文字の社名を変更し「大東亜」と改めました。翌18年には大東亜レコードの内地盤で、「江原奎燁」という歌手による『半島の荒鷲』(宇野美樹作詞、利根一郎作曲)が発売されています。

坂本圭太郎氏(海軍軍楽隊出身)の『音楽の中の戦いのうた 物語・軍歌史』(昭和59年4月)には、「思えば空の栄光を 我が身に担ふ 秋がきた いざ羽摶かん決戦の 太平洋へ 大陸へ」と、『半島の荒鷲』の歌詞を採録紹介しています。

坂本氏は、「この歌は4章まであるが、半島…即ち、朝鮮半島出身の飛行兵のことで、彼らの出陣の喜びと決意をうたったもの。歌手も半島出身の江原奎燁が特に起用されている」(同書172頁)と述べています。曲名や「奎燁」という朝鮮の歌唱者名から、江原奎燁が蔡奎燁であることはほぼ間違いないと思います。是非音源を入手し聴いてみたい曲のひとつです。

(レコード盤は筆者が未所有であるため、軍歌・戦時歌謡の研究をされている「大東亜合唱団」様所蔵のSP盤から、録音したデジタル音源とレーベル画像の提供をいただきました。この場を借りて御礼を申し上げます)

ふろあ


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