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戦前の朝鮮流行歌レコード

『玄海夜曲』


(タイヘイR1020/佐伯周二=蔡奎燁)  

SPレコード

コロムビアが古賀政男、西條八十の両巨匠の曲と詞を得て、長谷川一郎(蔡奎燁)の『戀ごころ』を発売したのが昭和8年1月でした。

古賀が創設した明大マンドリン倶楽部の後輩で、同大卒業後にコロムビアに入社した茂木大輔氏は、「コロムビアとしては藤山(一郎)にかわる歌手を補充しなければならず、朝鮮出身の長谷川一郎をスカウトしてきて、古賀の作曲した 『放浪の唄』 『アリランの唄』を吹き込ませたが、大変な美声なのだが発音にやはり難があったようだ」(『誰か故郷を…素顔の古賀政男』昭和54年7月)と、当時の状況を述懐しています。

その後、藤山一郎の東京音楽学校の後輩であった松平晃がコロムビアにスカウトされます。古賀・西條コンビで松平が吹き込んだ『サーカス(曲馬団)の唄』(昭和8年5月)は、来演したドイツのサーカス団の宣伝歌でしたが予想外の大ヒットとなりました。さらに、古賀のライバルといわれた江口夜詩の作曲による松平の『急げ幌馬車』(島田芳文作詞、昭和9年2月)も大ヒットするに至りました。

朴燦鎬氏によると、昭和8年秋、蔡奎燁は3年ぶりに朝鮮に帰り、翌9年に朝鮮譜で『さすらいの身』(古賀政男作曲)、『峯子の歌』、松平晃の『急げ幌馬車』のカバー曲『紅怨涙』など次々とヒット曲を出し、昭和13年にはコロムビアからタイヘイレコードに移籍。1月発売の朝鮮譜『北国五千キロ』でもヒットを放ったということです(『韓国歌謡史1895-1945』昭和62年9月)。

昭和14年頃から内地の歌謡界に、「佐伯周二」という名前の歌手が登場しています。タイヘイで同14年に『町の風車』、翌15年に『夜霧の幌馬車』などの曲を吹き込んでいることが知られていますが、歌謡史の研究家の間では、この佐伯周二は長谷川一郎の変名(別名)であるといわれています。

写真のレーベルは、その佐伯周二によるタイヘイの『玄海夜曲』です。レコード番号から発売は昭和14年と推定されます。作詞は佐伯龍、作曲は松平寛、編曲は飯田三郎となっています。

『玄海夜曲』を聴いてみると、「狭霧(さぎり)に黄昏(たそが)る 釜山の港よ 瞳に映るは三本マスト 汽笛を鳴らして 今宵の出船」(1番)など、朝鮮の釜山港から玄界灘へ向けた船出の旅立ちの様子が歌われています。

声や独特のアクセントの点からも、佐伯周二と長谷川一郎(蔡奎燁)は明らかに同一人物です。『玄海夜曲』の詞の内容も、まさに蔡のために用意された歌であるように思われますが、どうでしょうか。夜曲(セレナーデ)と曲名にあるように叙情的ですが、明るい雰囲気の曲調になっています。

ふろあ


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