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戦前の朝鮮流行歌レコード

『戀ごころ』


(コロムビア27221/長谷川一郎=蔡奎燁) 

SPレコード

蔡奎燁は、コロムビアで『 술은 눈물일가 한숨이랄가』(酒は涙か溜息か)などの朝鮮譜流行歌を吹き込む一方で、長谷川一郎名義で内地向けの日本語吹き込みで、昭和7年に『 アリランの唄』(淡谷のり子と共唱)を皮切りに、『放浪の唄』(『アリランの唄』B面)、同8年に『思い出の唄』、 『戀(恋)ごころ』、『オンドル小唄』、『春愁』、『今宵別れて』、『丘の夕陽』を発表しています。

当時、コロムビアでは古賀政男の作曲で大ヒットした『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』などを歌った藤山一郎が、在学中であった東京音楽学校で禁じられていた流行歌の吹き込みが発覚したことから、卒業まで流行歌の吹き込みが出来なくなっていました。

蔡奎燁が日本語曲を吹き込んだ背景には、藤山一郎に代わる歌手をコロムビアが探し求めていたという事情があったと、茂木大輔氏が古賀についての伝記(『誰か故郷を…素顔の古賀政男』昭和54年7月)で述べています。茂木氏は、古賀が創設した明治大学マンドリン倶楽部の後輩で、明大卒業後にコロムビアに入社。後に古賀がテイチク専属になると同社に移籍しディレクターとして活躍し、朝鮮のオーケーレコード(テイチク京城文芸部)の企画にも関わった人物です。

『戀ごころ』は、昭和8年1月の発売で、作曲および編曲は古賀政男、作詞は西條八十です。 西條は詩人、フランス文学者としてだけではなく、大衆芸術である流行歌の作詞家としても大きな業績を残した人物で、同4年にビクターから発売され大ヒットした『東京行進曲』(中山晋平作曲、佐藤千夜子歌唱)がとくに有名です。作曲者の古賀政男とともに、流行歌界の「両大家の初コンビ・レコード」として発売されたのがこの『戀ごころ』でした。レコードではもちろんA面に入れられました。

西條八十は、ビクター時代に同社専属の朝鮮の人気女性歌手・李アリス(李愛利秀)を「発見」し、李が吹き込んだ日本語曲の『 あだなさけ』(昭和7年)を作詞したことは別項で述べましたが、『アリランの唄』(金色仮面=小林千代子歌唱、昭和6年)の作詞をしたのも西條でした。一方で古賀政男も、自作曲を朝鮮譜で蔡奎燁がカバーをしたり、『アリランの唄』(淡谷・長谷川=蔡歌唱、昭和7年)の編曲を担当したりと、両者は朝鮮の歌謡と関わる共通点があるのが面白いです。

さて、『戀ごころ』を聴いてみると、「冬の夜更けの うずみ火ほどに 消えて消えない (ソリャ) 恋ごころ」(1番)  「消えて消えない 昔の恋が 更けて心の (ソリャ) 戸をたたく」(2番)など、失恋の心を綴った哀愁味のある歌です。ギターやウクレレによる伴奏も効果的で、唄いやすい佳曲だと思います。レコード会社の企画としても『アリランの唄』のような異国趣味をねらったのではなく、西條八十の詞を得て正統派流行歌として本格的に売り出しを図ったものと思われます。

ふろあ


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