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戦前の朝鮮流行歌レコード

『西敀浦七十里』


(オーケー31167/南仁樹)

SPレコード

「西帰浦」とは済州島の地名で、「西帰浦は島の南海岸の中央にある小さな良港であり、ここに島の支庁が置かれ、済州城内につぐ都邑である。西帰浦近郊の自然的景観は火山地形の美である」(『日本地理風俗大系』(第17巻下85頁/昭和5年12月)とあります。現在は韓国の西帰浦市となっていて、多くの観光客が訪れるリゾート地だそうです。

その「西帰浦」を曲名に冠しているのがこのレコードです。なお、レーベルでは西帰浦の「帰」の字が「白」と「攵」の部首をあわせた漢字になっています。

(1番)
波濤(なみ)がざんぶり 岸打つ西帰浦
真珠採るむすめは どこへ行った
口笛もなつかしや 白帆もなつかし
西帰浦七十里に 水鳥が鳴く
(訳詞は、朴燦鎬著『韓国歌謡史』227頁より引用)

西帰浦七十里一帯を主題にした歌で、訳詞の「真珠採るむすめ」というのは済州島の海女でしょう。白帆というのは、西帰浦に出入りする漁船でしょうか。昔は賑やかだったが、今では寂しい所になってしまったと、昔を懐かしんでいるような内容です。

私が子供の頃、『すばらしい世界旅行』という世界各地の風物や習慣などを紹介するテレビのドキュメンタリー番組で、済州島の海女のおばさんが登場していた放送内容がありました。そのおばさんは、自分は昔、大阪に行ったことがあると日本語で語っていたのが今でも印象に残っているのですが、戦前に済州島と大阪を結ぶ定期航路があったと知ったのは、ずっと後になってからでした。

「ことに全羅南道、済州島より出稼ぎしてゐるものが甚だ多く、済州大阪間の定期航路の汽船の如きは、これ等の渡航帰還者の群で常に満員の盛況を呈している」(『大系』(第16巻360頁/昭和5年9月)。歌詞の1番の内容は、そのあたりの事情が反映しているのでしょうか。

さて、『西敀浦七十里』の歌唱者は南仁樹です。レーベルには作詞、作曲者の表記はありませんが、作詞は趙鳴岩、作曲は朴是春で『釜山港』とまったく同じメンバーです。哀愁のあるギターのメロディに乗せて、南が演歌調で歌っています。

オーケーレコードは、当時同社の経営権を持っていたテイチクの工場で盤をプレスしていました。『西敀浦七十里』の盤は、内地のテイチクレーベルのT盤(昭和15年~)や、X盤(同18年~)と同等かそれ以下の盤質で、再生時の雑音がおびただしい粗悪なものです。盤が割れやすいので分厚くしてあります。

『韓国歌謡史』の年表では、この歌の発売は戦時下の1940年(昭和15年)から1943年(同18年)の間となっており、韓国のテレビ歌謡番組(「You Tube」映像)などでは、1943年(同18年)になっています。

戦局が激化していた頃ですが、朝鮮ではこのような感傷的な流行歌が、レコード検閲をパスして発売されていたということになります。

ふろあ


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