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戦前の朝鮮流行歌レコード

『 술은 눈물일가 한숨이랄가 』

(直訳:酒は涙か溜息か)
     (コロムビア40300/蔡奎燁

SPレコード オリジナルは有名な流行歌『酒は涙か溜息か』(昭和6年、コロムビア)で、作詞は高橋掬太郎、作曲は古賀政男、歌唱は藤山一郎です。
昭和恐慌の暗い世相を表す際に登場するイメージがある歌です。

朝鮮譜によるカバー曲を吹き込んだ蔡奎燁は、当時京城コロムビア所属の人気歌手だったようです。

この盤の裏面は、やはり古賀が作曲し藤山が歌ってヒットした『丘を越えて』の朝鮮語カバー曲で、曲名は『希望の丘』。歌唱は同じ蔡です。彼は松平晃が歌ってヒットした『急げ幌馬車』(昭和9年、コロムビア)もカバーし、『紅涙怨』というタイトルで吹き込んでいます。
SPレコード

作詞は金岸曙という人が手がけています。蔡は、内地のコロムビアレーベルでは長谷川一郎という名前で、『アリランの唄』(昭和7年、淡谷のり子と共演)、『丘の夕陽』(昭和8年)などの日本語吹き込みのレコードがあります。

また後年、タイヘイでも佐伯周二という名前で流行歌を吹き込んでいます。録音については、蔡奎燁(長谷川一郎)が活躍していた昭和7~8年頃は現地録音ではなく、内地のスタジオまで来て吹き込んでいたようです。

当時の録音については、次のような興味深いエピソードがあります。日本コロムビアのライバル会社、日本ビクターでは当時、李アリスと姜石燕という朝鮮女性の専属歌手がいました。 SPレコード

上京した彼女たちが同社の東京・神田のスタジオで、多くの朝鮮の曲を吹き込んでいたところ、来合わせた詩人で作詞家の西條八十が歌を聴いて絶賛し、その曲の中から2曲を西條が作詞して、『あだなさけ』と『いとしきけむり』という日本語の曲で発売(昭和7年)しています。

李と姜は4、5日の間日本語の発声を特訓して、吹き込みに臨んだということです。
このいきさつは、同曲のレコードの歌詞カードに記されています。なお、SPレコードで袋や歌詞カードも一緒に出てくることは比較的少ないのですが、朝鮮譜の『酒は涙か溜息か』を入手したとき、純正のレコード袋も一緒についていました。

日本語表記のカタカナとひらがなの部分が、そのままハングルに変えられています。

ふろあ


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