嘉永2年1月28日〜明治43年9月13日
(1849〜1910)長州(山口県)生まれ
明治42年(1909)6月14日に初代 統監の
伊藤博文に代わって2代目韓国統監に
副統監だった曾禰荒助が就任しました。
明治43年5月13日胃癌の病状が悪化し辞職
寺内正毅が三代目統監に就きました。
業績
諸外国との治外法権条約撤廃を図る為に
司法の独立、法典の整備に着手
明治42年7月12日 日本政府と韓国政府は
韓国司法事務及び監獄事務を改善し、日本に
事務委託することで外国人の生命財産を
保護
する約款を定めました。
各外国人居留地内の理事庁で行っていた
裁判を統監府が統一して裁判を行うように
なりました。
韓国の軍隊は解散していましたが軍部は
まだ残っていました。
これを廃止し、士官学校も廃止しました。
宮中護衛は新たに組織された親衛府が
あたりました。