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迫間房太郎

万延元年10月 和歌山県(紀州)那賀郡池田村の迫間喜四郎の4男として生まれる。

明治11年7月 大阪の巨商である五百井長兵衛の手代になる
明治13年 五百井長兵衛が事業に失敗したとき 五百井長兵衛の嗣子の長平と
協議して朝鮮貿易を始めることにした。
当時 ただひとつの開港地である釜山に渡り、 五百井長平釜山支店の支配人として
営業を始める。貿易が上手くいって 木浦、仁川、鎮南浦にも支店を出す。

明治22年に釜山水産株式会社を 香椎源太郎大池忠助らと共同して設立して
朝鮮水産の発展を釜山から広げる努力をしました。

釜山倉庫株武会社を新設して貨物の保管と火災の 防止になる工夫で多くの企業の
の流通の便宜を図りました。

アジア全体に視点を広げてみるとロシアの浦塩(現ウラジオストック)も今後有望な
場所だとして出店を決意した。

明治33年 ロシアの税率改定で白米の輸入税を大幅に引き上げ、籾の輸入を
無税にする決定がでたので、迫間房太郎は絶好の儲け機会だとして籾摺機を
輸入して浦塩にて精米所を開業 多大な利益を得る。

明治38年に独立して 貿易商、土地家屋の賃借で巨富を築く、大池忠助と並んで
釜山の2大資産家と呼ばれた。

釜山土地会社、 釜山商業銀行、朝鮮貯蓄銀行 釜山桟橋、釜山水産、 釜山電燈 朝鮮瓦斯電気など
多くの会社の社長や重役を務める。

釜山繁栄会会長、釜山商工会議所特別議員、慶尚南道会議員

長男:一男(明治32) 、次男:秀雄(明治34)、三男:重男(明治36)(名手家養子)、四男:武男(明治41)
長女:嘉子(明治31)(田中正之輔:大同海運)、次女 智恵子(明治43)(武智敏一:大阪)

原籍:和歌山県那賀郡池田村大字西三谷
住所:慶尚南道東莱郡東莱邑温泉里
店舗:釜山府本町二丁目5

明治32年に露西亜が馬山に根拠地を作るための買収予定地に多くの杭を打ったのを知った
釜山の中村領事代理は迫間房太郎に 妨害するための対抗 土地買収を頼みました。

迫間房太郎は予定地の真ん中の3千坪を買い上げてロシアの基地建設を妨害したのです。
さらに 先回りして軍港になりそうな近所の「栗九味」の土地も買って置いたのです。

翌年馬山に来た露西亜のマカロフ司令官は予定地がさらに買収された事を知ると
「栗九味」の土地に交渉を始めました。これも買収済だと分かると 馬山の監督官を
軍艦に拉致して売買の無効を要求するのです。

日本領事館と協力して韓国人の監督官を取り戻し露西亜の工作を妨害したのです。

このため露西亜艦隊の馬山根拠地構想は実現できなくなり、日露戦争の勝敗にも
貢献したので勲六等瑞宝章・紺綬褒章を貰っています。

買い占めた馬山付近の広い土地に 明治三十一年に水稲の優良品種を九州から
馬山地方に配付してその普及発達をはかり、米種改良に勤め朝鮮米の商品化を
向上させ、利益を得たのです。


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