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釜山の都市ガス

2018年の11月に釜山からの引揚者に当時の様子を聞き取りする機会がありました。
その方は釜山府寶水町で生まれ、釜山中学3年在学中に終戦・繰上卒になり、福岡に引揚ることに
なりました。 しばらく釜山日本人世話人会で引揚者の援護を手伝った後 福岡に無事に帰国
できたようです。

興味深い話を沢山聞くことができ、雑談の中で「釜山のご実家での燃料は石油ですか?」と
問うと「都市ガスでした」と返事が返ってきました。

釜山史のネタが増え心がときめきましたw

歴史を眺める視点が政治や事件ではなく当時の釜山の人達の生活環境に興味があるからです。

人類の祖先は火を得ることで文明の基礎を築きました。

火=エネルギーを照明と熱源の2つの要素に分けて活用できることが文明がより快適な生活環境に向かう流れになります。
そのまま釜山の近代生活史と重ねてみたくなります。

今回はエネルギー活用の要素のひとつであるガスの照明と熱源について取り上げて見ました。

博多瓦斯が新聞に掲載した瓦斯照明の広告をご覧ください。石油ランプや電灯の照明に比べて色彩を
正確に出す長所を強調しています。

福岡日日新聞:明治31年1月1日

横浜ではガス灯を復活させて電灯とは異なる照明の良さとレトロ趣味を生かした 観光資源と
して活用しているようです。

福岡でも下記の4カ所にガス灯が設置されているようです。
1.福岡市 天神中央公園 福博であい橋
2.福岡市 西大橋
3.福岡市 中洲懸橋
4.福岡市 西部ガス高宮ショールーム前

釜山の近代史で電気照明については、2016年3月の例会でご説明した 釜山電燈会社が設立された明治33年から
電気の時代に入りました。
それまでの照明は行燈と提灯から始まりロウソクから急激に電灯の時代に移行しました。
しかし電気の供給が少ないので街灯などはガスによる照明が並行して使用され、電気の供給が
できない地域は石油ランプに進んでいきます。

釜山の調理用の熱源は江戸時代にできた日本人居留地である倭館時代の薪炭からはじまります。
明治維新による政変の連絡を朝鮮政府に行うと、書類に記されていた「皇」と「勅」の文字に反発して
薪炭の供給停止になり、和館内の食生活が困難になったようです。

顛末の詳細は 別件のテーマでいろいろ話題になっているのでここで記すことは省略します。

釜山の開港後 調理用熱源は薪炭から石油コンロとガスコンロに進化していきました。

釜山の石油は大正4年 米国の企業ライジングサン社の石油販売開始からで代理店は本町一丁目に
あった立石商店でした。

釜山の瓦斯(ガス)供給は明治43年にできた 韓国瓦斯電気(大正2年朝鮮瓦斯電気に改称)
から始まりました。釜山の住民は「がでん」と親しみを込めた愛称で呼んでいました。
写真は釜山府土城町にあった朝鮮瓦斯電気本社と都市ガスタンク

現在の様子:釜山廣域市西区土城洞の韓国電力公社(KEPCO):2013/9撮影

韓国瓦斯電気は当初 発電用燃料である石炭からコークスを生成するときに発生する石炭ガス(注01)を
ガス街灯の照明用供給と石炭ガス燃料発電機の稼働が目的でした。

明治43年に第一期ガス埋管工事を4,913m 第二期ガス埋管工事5,516m, ガス製造1日8,495
立方mで出願し、営業許可を得ました。

明治45年から稼働、翌年の大正2年は 瓦斯灯用 2397口 調理用熱源891口

街灯は繁華街である本町、弁天町、幸町を結ぶ長手通の沿線から始まります。
旧草梁倭館内部の日本人居留地が最初のサービスエリアです。
ガス本管は路面電車の線路脇に埋設され延長されたようです。

大正14年に寶水町から富平町に至る高圧ガス管埋設工事完了
昭和3年 草梁、大新町、瀛州町に延長、緑町、谷町、土城町、富平町のガス管改修完了

朝鮮瓦斯電気株式会社は電気の普及で照明として電球の利用が増え、瓦斯灯は減少になり
ガス需要は家庭用調理熱源に利用状況が移りました。

日本各地のガス会社が瓦斯灯から調理用熱源に切り替わる過渡期に赤字になり統廃合が
進むのを見ることができます。

長崎は外国人居留地で瓦斯需要があったので早いですが、九州の瓦斯会社もだいたい同じような
時代背景で動いています。

社名 設立
長崎瓦斯 明治35年
博多瓦斯  明治36年
門司瓦斯 明治40年
小倉瓦斯 明治43年
若松瓦斯 明治43年
熊本瓦斯 明治43年
九州瓦斯 明治44年
戸畑瓦斯 明治45年
佐世保瓦斯 明治45年br>

韓国瓦斯電気の設立人の出身は大半が熊本県人なので熊本の資本が動いたと思われます。

博多瓦斯、小倉瓦斯、熊本瓦斯、長崎瓦斯が合併して合同会社になり、さらに東邦ガスに吸収され
東邦ガスから戦後 営業権を取得した西部ガスが現在の福岡を制しているような動きになっています。

釜山のガスの供給者である朝鮮瓦斯電気もガスの赤字で苦しんでいましたが 昭和10年の釜山府内
調理用熱源6,673口 当初の約7倍になっています。

釜山の都市ガス供給が先進的であったことが、平壌、大邱が昭和11年から都市ガス供給開始
であることからも分かります。

都市ガスが順調に釜山で普及すると思われましたが、昭和20年夏の敗戦で日本人はすべての資産を
残して引き上げることになり、日本人の資産や会社はすべて韓国人が占有しました。

戦後の釜山は釜山都市ガス株式会社(釜山廣域市水営區南川洞)が都市ガスを供給しています。
2012年の統計で釜山市内のガス普及率は72.6%で7つの特別市(注04)の中で最下位になっています。
(ソウルは92.3%)

特に釜山の日本人が多かった旧市街地の都市ガス普及率が低いのが特徴です。
中区:58%、西区:41.4%、東区50.1%、影島区:57.8%

釜山で都市ガスが始まった場所が周辺地域より普及率が高いのが当然だと考えるのが普通ですが・・・
反対に普及率が低くなっている事は面白い現象です。

都市ガスの利用申請は多いのですがガス配管工事ができない理由が日本統治下の土地所有と
戦後の 土地占有から所有に移行したことにあります。

敗戦で日本人が引揚げた土地家屋を韓国人が複数で自由に占有した状態を所有権として韓国政府が
追認したことが原因です。
李承晩大統領は支持者優先で日本人の残した家屋や工場・店舗などの所有を認めたことは良く知られています。
朝鮮戦争で多くの避難民が釜山に集まって適当な空き地に住んだことなどが重なっています。

奥の土地の人がガス配管を希望しても前の土地の所有者の同意なしで勝手にガス会社が他人の土地に ガス管を
配管することはできません。

日本統治時代と独立した韓国時代の同じ場所の土地台帳を比べると土地が占有によって細分化され、土地所有権が
複雑になっていることが実感できます。
かってに住み着いたのが所有権になったので道路に接していない土地がたくさんあります。

日本統治時代の釜山府大廳町1丁目

韓国時代の釜山廣域市中區大廳洞1街

日本統治時代は先端を走っていた釜山の都市ガスが戦後7つの特別市の中で都市ガス普及率が
最下位になっている理由を歴史に触れることで知ることができます。

他人の土地にガス会社が自由に配管する事ができるような特別法を作るような法律改正が
行われないと、都市ガス普及率解決は困難かもしれません。

釜山の近代史を眺める一人として興味深く今後の推移を観察したいものです。


注01:石炭ガス
石炭ガスは、石炭をコークス炉と呼ばれる炉に投入し高温で乾留し、水の中を通すことで
コールタールやアンモニアなどが除かれる。さらに含まれている硫黄分などを除くために
触媒の中を通して、最終的なガスが得られる。

注02:ガスの内容変遷図
初期の都市ガスは石炭ガスであったが内容は下記の図のように変遷し、石油生成や天然ガスなど
多様になっている。

引用:「解説・都市ガス」28頁 日本ガス協会編:発行所=ダイヤモンド社

日本で使用された都市ガスの昭和22年で石炭ガス98%であり、戦前の日本統治時代の釜山での 都市ガスは当然 石炭ガスです。

注03:シェールガス
シェールガスとは頁岩(shale:けつがん)と呼ばれる堆積岩の層から採取される天然ガス。
在来型の天然ガスが砂岩に貯留しているのに対して泥岩に貯留することからメタンハイドレート
などと共に”非在来型の天然ガス”と呼ばれています。

注04 韓国の7つ特別市と広域市
・ソウル特別市 (서울)
・釜山広域市 (부산、プサン)
・大邱広域市 (대구、テグ)
・仁川広域市 (인천、インチョン)
・光州広域市 (광주、クァンジュ)
・大田広域市 (대전、テジョン)
・蔚山広域市 (울산、ウルサン)


参考文献

朝鮮瓦斯電気発展史(社史)
解説・都市ガス:日本ガス協会編
西部瓦斯株式会社社史


2019年2月 釜山歴史探訪の会の例会で発表予定レジメをWEB用に編集したものです。
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