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熊川倭城

熊川倭城は 豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時 朝鮮で作った城で最大の規模です
熊川倭城

周りに5.6個の支城を置いた本格的な城になっています。

三方が海で岬になっていて入江内の船団を守りやすい
位置にあります。

入口の看板の上に見える石垣は普段の居住用の
建物があったところです。

当時は 看板の所まで海です。


熊川倭城

山頂の城跡まで 歩いて登ることにします。

案内をしていただいたのは校長を定年退職後
鎮海の文化財保護活動をしている黄さんです。

尋ねたとき ピッケルを持って登山靴だったのです。
普段着の私はビビッて大丈夫でしょうか?と尋ねると
問題ないと言うのですが心配でした。
熊川倭城

4月のはじめなので まだ新芽も硬く
緑はどこにもありませんが

冬枯れした 木々の間に 山ツツジのピンクの花が
あちらこちらに咲いていて 目を楽しませてくれます。

山道は急に細くなり 険しくなってきました。
熊川倭城

最初の石垣に出会いました。

これは 低いけど 麓から山頂まで 伸びる
石垣です。

下の方向に繋がっていますが 藪で見えにくくなっています。
熊川倭城

山頂まで石垣が伸びている様子です。

このような 石組みは朝鮮の城の形式では普通に
見ることができますが日本では見かけないタイプなので
興味が出ます。
熊川倭城

山頂の城を囲む石垣です。

数100年前のものとは 思えないくらい
きれいに残っています。
熊川倭城

虎口と呼ばれる石垣をぬって中に入ります。

石垣の大きさを示すため案内の黄さんを写してあります。


熊川倭城

三の丸内部
熊川倭城

三の丸を抜けて二の丸に向かいます
熊川倭城

二の丸の石垣の上を天守に向かいます。

ここは撤退するときに朝鮮に利用されないため

壊していった跡と聞きました。

過去のすぎ去った年月が嘘のように
石が並んでいます。
熊川倭城

天守から海岸まで伸びる斜面に伸びた石垣です。

城を含む土地を面で囲う発想は異質で面白いと
思います。

戦時だけ篭城という考え方ではなく
異国の地では普段の防御が必要とされた
のでしょう。
熊川倭城

日本と朝鮮の水軍が覇権を争った海域は 今埋め立てで
消えようとしています。

島々が並び入り江が 天然の良港となったのは昔の事で
鎮海の新しい町並みがここに広がるのは すぐです。


熊川倭城

鎮海市の開発計画図です。
2011年完成予定になっています。

熊川倭城の位置は赤の線で示しました。

507万坪の敷地に新しい港と町並みが
広がっていくのでしょう。
熊川倭城

天守から岬の先端に向かいます。
熊川倭城

雑草が生い茂っているので 壊れた石垣の上を
道として歩いていきます。
熊川倭城

奥の方の入り江に停泊した輸送船団は攻撃にあって壊滅

左の入り江に集結した 輸送船団に襲い掛かる
李舜臣の朝鮮水軍をここから 射撃して撃退した
といわれています。



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