埋立記念碑
釜山は龍頭山の麓から埋立によって市街地が拡大して
行ったのです。明治初期の 日本人居留地の時代から始まり、
大韓民国になった現在も埋立が進んでいます釜山市営地下鉄の中央洞駅の12番出口を出ると
角に この記念碑が建っています。
正面から撮りました。
影島大橋の前にある記念碑と似たデザインなので
同じくらいの時期に作られたと思います。この付近は 明治の半ばごろ埋め立てられた所ですし
しかも日本人居留民団が工事をやったのですから
釜山広域市が今更 記念碑を建てる意味は よく分かりません。分からない事も面白いのでぺーじにしておきました。
セマダン埋立記念碑と書いてあります。
セ=新しい
マダンは広場とか集会場所、庭先の空間などを
指す意味ですから ここに新しい空間が広がった
事を言っているようです。ここは明治の初期には北浜町と呼ばれ浜辺が広がっていて
最初の埋立がこの付近から広がった事を指しているのでしょう
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