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雩南公園
(Unam Park)敗戦で日本人が引揚げ、 神社の建物は消え龍頭山公園は荒れて行きました。
1951年に 朝鮮戦争が始まると各地から避難民が
釜山に 集まり、日本人の残した建物だけでは
足らず、空地に 多くのバラックが並びました龍頭山にも多くの避難民が集まり掘立小屋を
作り生活 していました。1954年12月の龍頭山大火事で 密集していた
バラックはすべてが焼け、犠牲者も多く出ました。
(約8千名:避難民記録が無いので詳細不明)翌年の1955年(壇紀4288)釜山市は雩南公園と
して 整備開園しました。中央には韓国の英雄「李舜臣」の像も立ちました。
画像:釜山教育史(壇紀4292年5月)
釜山市教育委員会発行
大廳洞から龍頭山公園に上がる坂の
入口の左側に龍頭山公園と ハングル
文字で刻んだ石碑があります。普通は平面に文字を刻むのですが・・・
この石碑は楕円形に溝を掘ってその中に
文字があります。最初 あった「雩南公園」の文字を消して
[龍頭山公園]と書き直した結果です。(2011/01撮影)
裏を見ると四角に削られた中に昔の年号で
「壇紀四阡弐百八拾八年」と彫られています。釜山市は李承晩大統領の 号である「雩南」を
使った雩南公園と改称し開園しました。1960年 学生運動から革命に発展した政変で
李承晩大統領は米国に亡命し、そこで生涯を
終えました。釜山市は公園の名前を龍頭山公園の名前に戻し、
雩南公園の痕跡を消しました。
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