9月16日先遣隊が釜山に到着
9月20日 C.S.Harris准将と3人の幹部が釜山に
移動,合わせて米陸軍第40師団もソウルから釜山に
移動を開始しました。
9月26日 米陸軍第10軍団から釜山に4人の将校が
派遣
されました。
9/29 沖縄の統治の軍政府経験者の6名の将校が
釜山に到着しました。
10/2 米軍政庁の第26中隊司令部が釜山に到着
10/31 米軍第98軍政団司令部が釜山に到着
慶尚南道に軍政が始まりました。
下記のような区分で進駐しました。
第50軍政中隊 釜山市内
第57軍政中隊 馬山と周辺
第58・第70軍政中隊 晋州と周辺郡部
第62軍政中隊 東莱、金海、梁山、密陽、蔚山
11/7 展開完了
すべての行政・社会・経済システムを再構築する必要があり、相当に苦労した様子が占領文書の
各所で見ることが出来ます。
内政、裁判、港湾管理、運輸、労働、衛生、食料、金融・財政、徴税、治安維持、鉱業、商業、工業、
農業、漁業、林業、教育の部門で書類が残っています。
教育:
小学校は1945年9月24日に468校が再開、生徒224,000:教師2,752。
1946年の1月11日には548校になり、
教師を新に
815名を雇用し、生徒数が224,942になりました。
中学校は1945/10/1に再開、学校数40、生徒9000、教師87
1946年1月1日には 学校数40 生徒11,595 教師405になっています。
1945年10月19日 日本人専用の学校はすべて閉校、教師は帰国する事になりました。
1945年12月1日 日本人教師が帰国したため絶対数が不足しているので釜山に臨時教員養成
課程を作り、
2ヶ月後の1946年1月24日 180名の教師を卒業させています。
釜山水産大学は1946年1月11日に再開、120名の学生を入学させました。
他に青年学校を6校再開し、英語学校を7校を設立、
教科書はありません。製作予算も無いので各学校で謄写版印刷したようです。