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壹岐丸/對馬丸の帆走
明治38年に 釜山・下関航路に就航させるため
山陽汽船は三菱長崎造船所に壹岐丸(1,680t)と
姉妹船の對馬丸(1,679t)を注文しました。壱岐丸は明治38年9月11日就航
對馬丸は明治38年11月01日就航写真は壹岐丸です。
船首マスト部分を拡大しました。
最初の関釜連絡船の壹岐丸/對馬丸は帆走も
できるように作られていました。
帆走の作業用にマストの登る為のハシゴが
船の側面から斜めにかかっているのが他の
関釜連絡船と異なっていて、分かりやすい
特徴になっています。後ろのマストも同じようにハシゴがある構造
になっています。壹岐丸/對馬丸は新造船ですが、ボイラーが1つ
しかなかったの万一の故障の際の準備で帆走も
できるようにしたと思われます。実際に帆走した経験があるかどうか?
記録を詳しく見てないので良く分かりません。貨物船は帆走できる船が普通でしたが旅客船は
早めに汽船に代わっています。
以後の関釜連絡船の高麗丸/新羅丸などは帆走の
装備は無く機関だけになっています。 <
写真は大正12年 釜山府佐藤町の岸壁です。
石炭運搬の三本マストのスクナー船が石炭の
野積みの後ろに停泊しているのが見えます。石炭を運ぶ貨物船は帆船が多かったようです。
明治の頃は貨物船は帆船が主で、機関と帆を
両方使う気帆船が大正時代から増え初めて
昭和の初めごろまで普通に帆走が使われて
いたようです。
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