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釜山の駕籠(かご) 

江戸時代の日本では通常の移動は徒歩であり、主要交通機関は駕籠であった。
一部で乗馬することはあったが客馬車などはなかった。

図は平民の使用する駕籠で、上級武士が使う豪華な駕籠は博物館などで見る事が出来る。
----- GATAG(無料素材)から借用 -----

二人で担ぐ駕籠と一人で運用できる人力車では効率が倍になるので駕籠が淘汰される
のが時代の流れである。

明治になると日本の各地で人力車が一般化され駕籠は急速に消えていった。
東京では明治5年(1872)に駕籠から人力車に移行されたようだ。

------------ wikipedia「人力車」から引用 ------------------
1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで
増加して、 日本の代表的な公共輸送機関になった。
これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。
------------(引用終わり ---------------------------------

釜山の開港は明治十年(1877)である。
釜山の陸上の交通機関の歴史で駕籠の時代は無く、人力車の時代から
始まったという先入観があった。


百年前の1915年の釜山の様子を知る為 釜山日報を開いてみると・・・。

大正四年の釜山日報(9月4日)の三面記事に駕籠屋の喧嘩の記事があった。

南濱町一丁目(現在の南浦洞1街)で富平町(現在の富平洞)に住む男と
牧島(現在の影島)に住む駕籠職同士で喧嘩があり、障害容疑で送検された。

大正四年まで釜山には職業として駕籠屋があったようだ。
明治41年には人力車料金規則が釜山にあるので駕籠と人力車が共存じていた
時代が長い事に特別な理由があるのだろうか?興味深い出来事である。

引用:釜山日報(釜山市民図書館所蔵)


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