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和清洋行軽鉄部

日露戦争の前 陸軍は満州への軍需物資や
兵の輸送の為臨時軍用鉄道監部を 設け各地に
鉄道を敷設しました。

この清津-會寧間も応急で建設されましたが
戦争が早めに終結したので使用することなく
休止になりました。

路線を貸下されたのが和清洋行軽鉄部です。

機関車はないので4人乗り客車を手押しする
軽便鉄道です。 画像は平壌軌道です。
清津-會寧-鏡城間を結んでいました。
物資補給の為に陸軍が定期利用する契約があった様子です。

清津-會寧間の距離は約75km 手押しの急行なので1日かかるのは仕方ありません。

任意の駅間の客車を10両以上を使う大口には1割引の特別料金があったようです。

台車使用心得
1.台車使用前に必ず諸機関部の破損有無並びに付属品の完全しあるや
否や 点検し故障あるときは使用すべからず。
2.台車の搭載力は百二十貫以内とす。
3.台車は如何なる時と雖も放行せしむる事を得ず
4.停車場、支分部、曲禘部、急傾斜部、橋梁、山腹部等は必ず徐行すべし
5.台車は決して衝突せしむべからず。
6.台車は如何なる場合と雖も転車し置く事を禁ず。
7.破損台車は必ず発停車場に曳行する事。
右の違反をしたるものは相当の処分を行ふ
明治四十年四月一日 陸軍軽便鐵道班長
広告画像は明治40年 朝鮮之実業 30号より
和清洋行軽鉄部

軽便鉄道は建設費用を優先した為 多少遠回りでもトンネル工事や面倒な工事は避けているので
大正5年6月の総督府鉄道局の咸鏡線の本工事では鉄道運営の正攻法の標準軌道で再建設されて、
和清洋行軽鉄部の路線は消えました。

清津から羅津、満州の軌道は北鮮鉄道と呼ばれ、 南満州鉄道(満鐵)が管理していました。


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