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統監府鐵道管理局 
明治39年7月1日 朝鮮における鉄道の統一経営を行うために 京釜鐵道株式会社を
国有化し 統監府の経営になりました。

京釜鐵道株式会社を買収と同時に京釜鐵道総裁の「古市公威」を鐵道管理長官に 
「大屋櫂平」を総務部兼工務部長に、「岡正牟」を運輸部長にして、「石川石代」を
臨時鐵道建設部長に、他 従業員1791名をすべて引き継ぎし、8月に1部を任官しました。

古市公威」は明治40年に鐵道管理長官辞めて理化学研究所長になり、大正8年男爵を受興
鐵道管理長官は「大屋櫂平」が後を引き継ぎました。

統監府鐵道管理局制
職名雇用形態
人数
明治39年 明治40年 明治41年
長官 専任 勅任 1 1 1
事務官 専任 奏任 8 10 11
事務官補 専任 奏任 5 8 9
技師 専任 奏任 14 25 29
通訳官 専任 奏任 1 0 2
書記 専任 判任 145 222 253
技手 専任 判任 65 82 173
通訳生 専任 判任 2 0 3

明治40年3月31日 京義線及び馬山線の臨時軍用鐵道建設部を廃止して 統監府鐵道局の
官制に合併し、軍事費特別会計は3月末で終了させました。

旧軍用鐵道監部所属職員で判任以上110名、雇員・雇人など1900名の合わせて2千名を
引継ぎました。

統監府鐵道管理局臨時建設部制
職名雇用形態
人数
明治40年 明治41年
事務官 専任 4 3
事務官補 専任 4 5
技師 専任 勅任1人 19 17
通訳官 専任 3 削除
書記 専任 74 51
技手 専任 90 73
通訳生 専任 6 削除

組織図は下記です。(明治39年現在)
統監府鐵道管理局組織図
各部の設置場所は 明治40年工務部を釜山から仁川に移し 運輸部は釜山から京城に
臨時建設部は仁川から龍山に移動しました。



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