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釜山の電車停留所(5) (長手線-2:中心街)

釜山の路面電車停留所シリーズ5は繁華街を通るメインの長手線です。

明治時代に出来た釜山の街路は狭いので区間ごとに広い道路に移転をしているのです。
それで長手線を語るには3区間に分けたほうが分かりやすいと考えました。

番号区間移転年
1 裁判所前-富城橋 変動なし
2富城橋-本町 長手通り昭和通り不明
3本町-釜山駅 大倉通り大橋通り昭和9年

今回は釜山で一番の繁華街である長手通り(光復路)です。

大正6年12月 繁華街に電車が通り
大廳線と結んで環状線になりました。

繁華街なので停留所の間隔が他の半分
程度になっているので他の区間に比べて
倍の停留所があります。

この地図は昭和11年のものです。

埋立して出来た新しい昭和通りに移転する
のですが、移転年月日は戦時体制にあった
ことや戦後の引揚のドザクサで記録が残って
いないのです。現在調査中です。

資料をお持ちの方がご指導いただければと
思っています。

昭和11年以後
停留所名
昭和11年まで
停留所名
昭和8年以前
停留場名
本町本町なし
なし南濱口南濱口
なし 弁天町1丁目府庁下
なし 弁天町2丁目病院下
なし 思案橋思案橋
なし 幸町幸町
なし西町西町
富城橋富城橋富城橋
南濱口

南濱口の停留所はこの付近にありました。

現在の光復路の入口です。

名前のとおり明治時代の初期は左に20mほど
行くと海水浴もできる浜辺だったのです。
弁天町1丁目

弁天町1丁目の停留所はこの付近にありました。

高級ブティックが並ぶファッションの街です。

当時も中心街でした。
弁天町1丁目

昭和初期の長手通り(光復路)の姿です。

上の写真とほぼ同じ位置です。
市電の後ろにある白い建物は移転前の
三中井呉服店です。
弁天町2丁目

弁天町2丁目の停留所はこの付近にありました。

明治時代に作られた路なので電車も単線しか
できない狭い路です。

それで埋立で出来た新幹線道路(昭和通り)に
電車は移転をすることになったのです。
思案橋

思案橋停留所はこのモニュメントの所に
ありました。

ここは 大廳路にぬけるロータリーになって
中心なので イベントはここで開かれることが
多々あります。
幸町

幸町(さいわいまち)停留所は この
交差点の手前の所にありました。
西町

西町停留所は この
交差点の所にありました。

現在の国際市場のはずれです。

この路を150mほど進むと次の停車場である
富城橋停留所があります。
韓国電力公社

富城橋停留所付近の現在の様子です。


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