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釜山の電車停留所(1) (大新町線)

釜山の路面電車のことを色々探していると昔の景色が少し見えてきたのです。

停留所の名前が日本統治時代から大韓民国になってどのように変わったかを
見るだけでも興味深いことが次々出てくるのです。

廃線(1968)になって40年近くなるので若い人は知らないし、老人は詳しい事は
覚えていないとの返事が返ってくるのです。ですから楽しみながらゆっくり
探索を続けて行きたいと考えています。

釜山市電路線図
戦前
停留所名
戦後
停留場名
車庫 車庫
運動場前運動場
九徳廃止
大新町大新洞
中島町芙蓉洞
道廳前廃止
裁判所前裁判所前
九徳運動場前から裁判所前までが
大新町線です。

ここから始めてみます。

町名が洞名に変わったくらいで
大きな変化はありません。

この建物は大新文化アパートです。

この場所に電車の車庫があり、1968年に電車が
廃止になるとバスの終点としてターミナルに
なり賑わいました。九徳トンネルができると
ここは通過点のひとつになり、ターミナル跡に
アパートが建ったのです。

アパートの前の歩道に 路面電車の記念碑があり
昔の様子を想像することができます。

現在の九徳運動場前です。

車庫はここを右に曲がります。

現在の九徳運動場バス乗り場です。
突き当たりに競技場の建物が見えます。

この付近が当時の九徳の電車停留所でした。
運動場に近いので戦後は廃止です。

この写真は開通したばかりの大新町停留所です。

現在の釜山地下鉄1号線 東大新洞駅の付近です。

大新町は人口が増えた為に昭和元年(1926)に
東大新町と西大新町に分離しました。

中島町停留所はこの交差点にありました。

1947年の町名変更で中島町は芙蓉洞に
なったので電車乗り場名も「芙蓉洞」に
なりました。
この写真は昭和始めのころの道廳の
絵葉書です。

道廳前は裁判所前停留所に 近いのと
馬山市に道廳の移転が決まった ので
戦後すぐに停留場は廃止されました。

佐賀県立名護屋城博物館所蔵

裁判所前停留所はここで環状線なった
大廳線と長手線に接続するのです。

戦後 大廳線は廃止され環状線は
なくなりました。

裁判所が移転した跡地には
東亜大学富民キャンパスが建てられました。


釜山の市電(戦前)
釜山の市電(戦後)


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