大正4年9月の第14回定時株主総会で社名変更の
決議が採択されました。それによって「日韓瓦斯
電気株式会社」は「京城電気株式会社」に社名が
変わりました。
大正6年 資本金を資本金を600万円から900万円に
増資して 設備の充実を計ることになりました。
本社は東京で京城支店が運営をしていました。
大震災で本社(日本橋区新右衛門町)が焼けた
ので東京市麹町区永楽町に移転
写真は鐘路付近
車両をラジアルトラック型とういう最新の車両に
入れ替えし、大型変電所を東大門側に新設、
大型発電所もつくり、金剛山電気と提携して
水力発電の余電を受けるなど 電力需要の増大に
対処していきました。
全金属製の4輪ボギーの大型電車です。
乗客数の増加にあわせて電車も大型化して
行きました。
京城だけではなく 地方の電気需要に答えて
馬山支店、鎮海支店など設けて 地方でも
発電所を
作っていったのです。
前後に出入口のある小型電車と前後と真中の3箇所に出入口のある大型電車の2種類があって、
大型電車の中央口付近の車掌は女性だったそうです。
電車路線(大正元年現在)
本線-1 及び附総督府医院線(利峴より分岐して弘化門まで)
昭和3年11月1日 府庁前からの
新たな路線 大平通線が開通
しました。
東亜日報3年11月2日より