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ソウルの路面電車4(焼討事件)

路面電車 電車が開通すると 乗った人は歓声をあげて
喜び、降りようとはせず 満車が続きました。

見物人も増え、地方からの見物人まで線路の
両脇に人垣ができたのです。

電車の危険度など知らない市民と電車の不幸な
事故が開通してから1週間目に起きました。

写真は京城電気20年沿革史から
路面電車

パゴダ公園前で軌道を横切ろうとする子供(洪夏寛の子)を
電車が轢殺したのです。

これを見た群衆は怒り電車を焼討ちにしたのです。
さらに次の電車にも襲い掛かり燃やしてしまいました。
乗客、運転手と車掌は逃げることができたので無事でした。

写真:焼けた電車:韓国電気100年画報39頁
その場所に居た米国人は危険を感じたので通りかかった郵便配達の自転車を奪って逃げました。

群集は追いかけましたが見失い日本人(大島専蔵)の経営する 店に隠れたとして この店も襲ったのです。

路面電車 暴動になり発電所や電気会社も危なくなりました。

社員は武装すると同時に発電所には電線で囲み
高圧電流を流して防御を強化しました。

電気会社は写真のように武装した米国軍が
出動し空砲で威嚇して暴徒から守りました。

写真:漢城電気本社
韓国電気100年画報45頁より
暴動を恐れた日本人運転手は 電気会社に下記の要求をしました。
1.運転手に護身用の拳銃を支給すること。
2.警察官を車両に同乗させること。
3.万一の祭の遺族への保証金を供託すること

社長のコルブランは最後の供託金はできる。最初の2点は政府に申請はするが
実現出来ない可能性が高いと回答し、とにかく替わりの運転手を雇用するまでの
2ヶ月間 倍の給与で働いて欲しいと説明しました。

不満とした運転手は全員が辞職、日本に帰国したので電車は止まってしまったのです。

急遽 米国人運転手を呼びよせ 1週間後 運行を一部再開しました。


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