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ソウルの路面電車2(漢城電気時代)

閔妃 明治28年(1895)乙未事変と呼ばれる日本人集団を含む暴徒による
閔妃暗殺事件がありました。

韓国の王 高宗はそれを悲しみ、清涼里に王妃の墓である
洪凌を作り、そこに群臣を引き連れ何度も礼拝に通っていました。

明治29年 米国のコールブラン氏とボストイック氏は王の大行列の
経費が 1回で当時の10万円程度もかかることを知ると路面電車の
敷設案を出しました。

経費節減と時間短縮の両方を解決し、平素は市民の交通手段として
利用すれば 利益もあがる方法として電車を勧めたのです。

墓参が路面電車を作る動機でした。
明治31年(光武2:西暦1898)資本金150万円で漢城電気会社を作ることになりました。
コ氏とボ氏の両氏で75万円韓国王室が75万円を出資し共同経営です。

韓王室は40万円と35万円の2回に分割して払うことにし、2回目は現金は15万円を出し、
残りは線路用地、発電所敷地、会社敷地の現物出資で支払いとなりました。

線路敷設 コールブラン氏は 路面電車の運営実績のある京都電鉄に
設計、敷設工事を依頼しました。

設計は工学博士:真木平一郎 実務を大圃孝之助、
石隅信乃雄が 行い、建設を進めました。

写真は:韓国電気100年史33頁
東大門発電所

発電所を東大門横に作り、直流600ボルト(75KW)の 1台
100馬力のマッキントシュ式ボイラーとバブコック式設置し
明治32年 西大門から洪凌(清涼里)までの単線の路線が
完成しました。

陰暦4月8日の祭日(釈迦誕生日)に開通式を行いました。

写真は東大門発電所:韓国電気100年史41頁

余話として 路面電車の電線が東大門付近で10mほど盗難にあいました。
警察は2人の容疑者を逮捕、王の財産を侵害したとして裁判なしで死刑、斬罪にしました。


閔妃の名前も不明ですし、この写真も官女の写真だと言う話もあります。
当時の身分の高い女性は家から出ないのが当然なので写真が存在しないと言う話もあります。
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