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釜山の軽便鉄道
明治41年6月(1908)に軽便鉄道の認可が
出て、釜山軌道株式會社(資本金5万円)が
設立されました。発起人は、 大池忠助、 豊田福太郎、 小宮
万次郎、福田恒祐、 五島甚吉、山本純一
粟屋端一明治39年に釜山居留民団と韓国政府との
共同経営で聖知谷水源池から居留地までの
水道を敷設することになりました。工事が終わり、資材運搬用に使い、残った
機関車2台と軌道を利用して、東莱温泉を
利用する湯治客を運ぶため釜山鎮から東莱
温泉までの6哩(マイル)を結ぶ計画が 出て、
敷設工事が始まりました。写真:朝鮮瓦斯電気株式会社発達史
翌年の明治42年3月(1909)線路が完成して
運行が始まりました。
軌道幅は2尺で開始され 小型の機関車を
使う軽便鐵道です。明治43年12月(1910) 韓国瓦斯電気株式会社
と売買協定ができて軽便鉄道の経営を移す事に
なり、釜山軌道株式會社は解散しました。
韓国瓦斯電気は釜山市街から釜山鎮までの
路面電車と郊外用の軽便鉄道の2系統の 運営
していました。明治45年(1912)軽便鉄道の線路を2フィートから
2.6フィートに拡幅し、 南満洲鉄道の 安泰線で
使われていた機関車と客車を購入しました。停車場も大きくして京釜鉄道とも連絡が出来る
ように考えていました。
蔚山・慶州を経て大邱までの路線に延長する敷設許可を 得ていましたが これは計画だけで
起工はできません でした。大正2年韓国瓦斯電気株式會社は 朝鮮瓦斯電気株式會社に社名変更
大正3年 軽便鉄道敷設権を朝鮮軽便鉄道株式会社に譲渡大正5年(1916)に電車の大廳線が釜山郵便局から朝鮮瓦斯電気會社前までつながりました。
東莱まで電化されて電車が運行、軽便鐵道は廃止になりました。
朝鮮軽便鉄道株式会社は朝鮮中央鉄道株式会社になり東海線を作るが国鉄に買収され、標準軌に変更されました。
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