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電車の釜山府営移管問題

大正8年6月 平壌府尹をしていた本田常吉が2代目釜山府尹として着任しました。
本田常吉は平壌府営電車の実施の企画にあたっていた経緯もあって 釜山でも釜山府が電車の
経営を したほうが府民の便宜を図ることができると考えていました。

大正10年5月平壌府営電車の成功を見ると、釜山の電車の経営をしている 朝鮮瓦斯電気株式會社
府営 電車の運営のため施設一切の買収の打診をしました。

朝鮮瓦斯電気株式會社の役員である、香椎迫間大池、 水野の4人が釜山府協議員に辞表を出して
これに抵抗しました。

慶尚南道道廳の澤田知事が調停に乗り出し仲介しましたが買収価格で折り合いがつかず
大正12年3月 本田常吉が退官することで最初の釜山府営電車問題は消えました。

3代目 釜山府尹の 小西恭介は電車の釜山府営移管は調査中として触れず江原道内務部長に転勤

大正14年9月に着任した 4代目釜山府尹の泉崎三郎も電車の買収の打診をするが買い取り価格は
朝鮮総督府の指示によって行うとし、具体的な進展なしで威鏡南道内務部長に転勤

釜山電気府営期成会 昭和3年10月に着任した5代目釜山府尹の桑原一郎は
買い取り価格を妥協点近くまで引き上げ交渉

府営電車を支持する釜山電気府営期成会
岩橋一郎・安武・池田など)の演説大会が
釜山の 各地で開かれ会社に圧力をかけます

応じないなら対抗策として府営バスを釜山に導入する
ことを 決議しました。

大衆運動として白熱化をしたので慶尚南道道廳の須藤
知事は社会不安の状態になることを恐れ朝鮮瓦斯電気
会社に早期解決・妥協 を要求したのです。

会社も折れて中間の価格で買収契約の調印日時まで
決まりました。

昭和4年 満洲で張作霖を陸軍が列車ごと爆破する暗殺
事件が起きました。これの処罰を陸軍の反対でできな
かった 責任で 第27代・田中義一内閣が総辞職しました。

次の第28代 濱口雄幸を総裁とした民政党内閣は緊縮
財政を 行いました。
釜山府の電車買取も価格が高すぎるとして認可でき
ないと しました。

こうして釜山府営電車移管問題は幕切れになりました。
記事:東亜日報 昭和3年12月23日
内地の政変という、思わぬ援軍で電車事業の買収問題が終了したので、香椎社長以下役員は安堵して
乾杯したと聞いています。


参考  府尹の読みは「ふーいん」 戦前の市長レベルの役職名。
公選ではなく 任命だったので 道廳の内務部長とほぼ同格。

 初代 釜山府尹:若松兎三郎


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