fSvjXcAa9J3OA
Home > 交通史 > 鉄道 >

プレーリー型タンク機関車

 
プレーリー型タンク機関車は  京城-釜山間の京釜線に使用する為 京釜鉄道株式会社が米国より
18両を輸入しました。京釜線は日露戦争の準備で速成工事が 行われた為、急勾配が多かったので
プレーリー型タンク機関車が 主に使われました。

草梁-省峴間の比較的平坦な区間(58哩)はコンソリデーション型 テンダー機関車が使用されました。

京釜線は明治38年1月から 永登浦-草梁間の営業運行が開始。

明治35年12月30日 京釜鐵道会社は京仁鉄道を吸収合併、機関車含む全てが京釜鉄道の所有になりました。
明治39年7月1日 統監府の鉄道国有化で京釜鐵道はすべてを統監府鐵道局の経営に移管しました。

明治37年2月 日露戦争が始まると満州方面に輸送経路が必要とされ、京城-義州間の
鉄道建設を進めるため陸軍参謀本部下に臨時鉄道監部が組織されました。

臨時鉄道監部は米国から急勾配に強いプレーリー型タンク機関車を52両輸入、建設資材の
運搬・営業運転に使用しました。
48両は京義線に配置、4両は馬山線で使われました。

明治38年3月 龍山-安州の営業運転開始
明治39年8月31日 軍用線から国営(統監府鐵道局)に移管

京釜鐵道から18両、臨時軍用鉄道から52両の合計70両のプレリー型タンク機関車を保有
その後 私鉄振興の為に7両を私鉄に譲渡、

明治44年 ドイツから 新に9両を購入、大正元年、同じくドイツから5両を購入、合計77両の保有で
昭和20年の敗戦を迎え、すべてを残して帰国しました。

独立した北朝鮮と韓国が使用したプレリー型タンク機関車の割合は不明

機関車のプレイリー型の鉄道局での呼称は、最初に作られたのが プレイで、それから、プレニ、プレサ、
プレシ、 プレコ、プレロ、プレナ、プレハ、のように使われて いました。
朝鮮総督府鉄道(交通局)では「ハ」が最終で次はなかったと思います。

機関車以外では数字を「い、に、さ、し、こ、ろ、な、は」のような表現を 使うことはなかったようです。
プレーリー型タンク機関車

プレーリー型タンク機関車
車軸配置:1C1
車輪:2-6-2
製造:米国ボールドウヰン会社

画像:
朝鮮鉄道史 第一巻 554頁
(朝鮮総督府鉄道局)
プレーリー型タンク機関車

プレーリー型タンク機関車
車軸配置:1C1
車輪:2-6-2
製造:ドイツ・ボルジッヒ会社

画像:
朝鮮鉄道史 第一巻 554頁
(朝鮮総督府鉄道局)


Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景 . 街角風景2
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 戦前の絵葉書 . 近代史年号一覧