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朝鮮鐵道の簡単な歴史(戦前)

京仁線最初の機関車

明治29年に韓国政府は米国人モ-リスに仁川から
京城までの鉄道敷設の特許を与えました。

米国で出資者を探すことができなかったので日本と
提携して建設することになりました。

明治30年5/8工事未完のままモーリスから譲受け工事再開

明治33年7月8日 仁川-京城(西大門)が開業

車両は米国ブルークス会社製で6輪連結水櫃付き35トン
完成時の釜山駅 明治34年6月に京釜鐵道会社が設立されました。
8月に北は永登浦から南は9月に草梁から工事を始めました。

4年間の大工事で明治38年京城-草梁間を開通することができました。

明治39年には新義州と龍山を結ぶ京義線が開通しました。
京釜鐵道は国有になり、統監府鐵道管理局に引き継いだのです。

明治41年釜山駅開業、新義州までの直通運転が始まりました。

明治42年統監府鐵道管理局制度を廃止、鐵道庁を設置

明治43年(1910)の日本との併合によって大韓帝国が消滅したことで、 行政、法律などから社会制度全般まで朝鮮総督府が統治することになりました。 朝鮮総督府で鉄道を統括していたのが朝鮮総督府鐵道局です。

明治44年 隔日運転だった京釜線の直通夜行列車「降照」が毎日運転になりました。
鴨緑江の架橋工事が終わり長春までの直通運転が始まりました。

中略 急行ひかり

急行「ひかり」「のぞみ」が京城-釜山間を12時間で
運行していました。

昭和14年に登場した特急「あかつき」は半分の6時間で
京城-釜山間を運行、増加する需要に対応するため
京釜線には最新鋭の列車が投入されたのです。

戦争が始まると大陸向け貨物列車が優先されて、
旅客車は間引き運転になりました。
速度も次第に遅れ、元の12時間までになりました。


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