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映画最盛期の釜山
1960年後半から70年代後半までの映画全盛期には 釜山の中区だけでも10数箇所の
映画館が軒を並べて競い合っていました。映画黄金時代は数々の名作を残し
人々の心の渇きを癒してくれたのです。年代によって映画館の衰退があって
名前がいろいろ代わっています。地図の映画館の名前は最終の名前を
記してあります。TVの台頭によって客足の離れた映画館は
消えていきました。映画館の数は減りましたがPIFF広場の
釜山劇場と大映劇場はシネコンになり
いくつもの映画を同時上映しているので
スクリーンの数はあまり変わらない気が
します。
( )の中は最初に出来た時の映画館の名前です。
市民劇場(相生館). 文化劇場(寶来館). 東亜劇場(昭和館) . 釜山劇場(釜山劇場)釜山の映画館全盛期の東区編です。
釜山駅前の草梁洞にも映画館がありました。
大池源二が昭和5年に草梁に「中央劇場」を
作り、それを満生峰次郎が昭和11年の買収
時代劇映画や演劇中心に公演した「大生座」
になり、戦後に「大生劇場」、「中央劇場」と
代わりました。1980年に閉館
現在は新築の高層テナントビルになっています。
そのほか 草梁劇場、大道劇場などが
ありましたが現在はありません。佐川洞には 三一館(朝日劇場)と
サムソン劇場の 2館が並んで現在も上映を
続けています。
この地図は西面ロータリー付近です。
東宝劇場と大和劇場は日本人が作くり、敗戦のため
日本人は総帰国になったので 韓国人が使いました。日本人が作った劇場を貰っただけの映画館が当たり前
だった戦後のすぐの時期に ロータリーに面して
釜山の人が最初に作った「北星劇場」がありました。ロータリー左手の釜山産業高校だった場所に 今の
ロッテ百貨店があります。
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