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御園化粧品

御園化粧品のハングル広告

女性の肌を白く見せる白粉には鉛の化合物が使われていて
汗と反応して皮膚から吸収され中毒を起こす製品がほとんど
でした。

明治33年(1900)に長谷部仲彦氏が発明した無鉛白粉は鉛を
まったく使っていないため障害を起こす恐れのない化粧品と
して脚光をあび発売されました。

明治37年(1904)長谷部仲彦氏と伊東栄氏が合同で化粧品の
製造会社伊東胡蝶園を設立し、「御園白粉」のブランドで作りました。

当時の懸賞広告を拡大してご覧下さい。(クリック)

東亜日報:昭和3年12月2日

御園化粧品のハングル広告

美の競争は国内だけではなく朝鮮市場でも各社の激しい
宣伝合戦があったのです。

販売はミツワ石鹸の丸見屋が行ないました。

御園石鹸はクラブ化粧品レート化粧品のように
朝鮮民族衣装を着た女性を描いた大衆路線ではありません。

現代にも通用する一流のデザインのハイヒールにスーツ姿と
いった洋装や高級呉服を着こなした女性のイラストが特徴です。

この広告は各種製品の当時の価格が分かる貴重な資料です。

まとめて贈答箱で買うとお得になりそうですが安くならない
のが御園化粧品らしいところです。

東亜日報:昭和3年12月10日
御園化粧品のハングル広告

御料御園歯磨の「御料」は、明治33年の大正天皇
ご成婚の際に献上されたことにちなむようにセレブ
志向だったのです

伊東胡蝶園は昭和23年に(株)パピリオに改称
その後 帝人が買収し 帝人パピリオとなりました。

さらにアサヒペンに買収されアサヒペンの化粧品部門が
市場から引くことで伝統の御園化粧品は幕を閉じました。

現在のパピリオ化粧品は御園化粧品とは無関係です。

東亜日報:昭和3年12月26日
御園化粧品のハングル広告

もっと詳しく見たい方やハングルの学習者のために
最初の2枚は画像をクリックすると拡大してご覧に
なれます。お楽しみください。

東亜日報:昭和3年12月27日


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