昭和15年(1940)朝鮮総督府は釜山の水産資源の研究の為の
釜山高等水産学校を現在の
釜山広域市南区大淵3洞に作りました。
大学の側は松林と白い砂浜の続く綺麗な海岸でした。夏になると海水浴に多くの
釜山市民が訪れる行楽地でした。
朝鮮戦争が始まると共産軍の攻撃から釜山橋頭堡を
維持する為米軍は施設の増強にかかりました。
メインの飛行場は釜山東飛行場でしたが 補助飛行場と
付帯設備として 釜山水産学校と敷地を接収し、近くの
海岸を埋め飛行場を作ったのです。
地図に破線で現れた水路は輸送船から直接に龍沼基地に
補給ができるようにしたものです。
戦争が終わると米軍基地は返還されましたが
かつての白砂の海岸は消えたままです。
現在は跡地に三育団地のアパートが並んでいます。