fSvjXcAa9J3OA
Home > 歴史 > 戦争

休戦協定署名 (朝鮮戦争14)

休戦協定署名

休戦会談は捕虜問題で接点を見つけることができず
双方が 攻撃をくりかえしますが陣地戦になり大勢は
ほとんど動きません。

米軍は北の水豊ダムを爆撃しましたが戦争には
たいした影響はありませんでした。
会談は無期延期になっていました。

米軍も中国軍も疲れて戦争を終結させる方向を
模索していましたが 双方ともメンツを保つ意味の
小競り合いを続けていました。

1952年の米国の大統領選挙で戦争終結を公約し、
共和党から出馬して当選したたアイゼンハワーが
終結に動き、ソ連のスターリンが急死したことで 
休戦会談は急速に妥協点を求め始めました。

これに 猛反対したのが韓国の大統領の李承晩です。
南北が分断された状態で固定される事を嫌ったようです。

北に帰りたくないとする捕虜の2万5千人は釜山に居て、北に
帰る意思のある捕虜は巨済島に収容されていました。
李承晩は北進を主張しますが 大国同士の意思には
勝てない 不満で休戦会談を壊す事を考えました。

釜山にいた捕虜を釈放し、市民に呼びかけして捕虜を
匿い 韓国軍に編入したのです。

共産側は激怒しましたが 米国大統領が釈明に奔走し
休戦会談の終結にもって行く事ができました。

李承晩は 米国から2億ドルの援助資金、軍事援助、
長期経済復興の約束を取り付けて、会談の妨害を
しないことを約束しました。

会談は進みましたが、李承晩は署名を拒否し
南を除き 米(国連)、中、北の3国で休戦署名が
行なわれ長い戦争は停戦になりました。

戦争は終結ではなく休戦の締結なので 南北の両国とも
自己を正当な政府として他を傀儡政権と非難しています。

南北が国連にそれぞれ加盟した現在 両国はこれからも
別々の道を進むのでしょうか?
韓民族同士の争いの悲劇は何度も  映画化され涙を
誘って います


南:大韓民国 北:朝鮮民主主義人民共和国  : 朝鮮戦争の概要 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15
Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 戦前の絵葉書  . 釜山近代史年表
. 近代史年号一覧