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マッカーサー解任と休戦会議 (朝鮮戦争11)

マッカーサー解任と休戦会議

38度線の攻防で膠着状態ではありましたが
戦争の最中に総司令官を解任すると言う事が
起こりました。

ニューヨークタイムスの1951年4月11日の1面に
大きく載りました。

自分の手持ちのすべてを使って勝利を得る作戦を
立てるのは将軍として当然の事です。

国益及び同盟国の利益を優先する方向を模索する
のは政治家の大統領として当然の義務です。

二人のトップの価値観が対立した時 文民統制の
最後の切り札が出ました。

後任は第八軍司令官のリジウエイが昇格しました。


中国戦車 4月攻勢で中国軍は38度線を突破しましたが 兵力の
消耗が激しく戦線は維持できませんでした。

5月に国連軍が反撃して38度線を再突破するという
繰り返しの中 6月に出たソ連の休戦提案に双方が応じ
休戦の会議が開かれることになりました。

しかし 会議は難航し 締結まで もう2年もの間
戦闘は継続され多くの犠牲が出るのです。

写真はソウルの戦争博物館に展示中の鹵獲した戦車


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日本ではマッカーサー元帥と呼びますが 韓国ではメガド(맥아더)元帥と呼びます。 
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