米軍の反撃ソウル再奪還 (朝鮮戦争9)
中国軍の攻勢の前に次第に戦線が下がり国連軍は
後退していきました。
マッカーサーは原爆を使い、満州を爆撃し中国の海上
封鎖をして全面対決を打ち出すのですが チャーチル
英国首相とトルーマンはソ連の介入で欧州を含む世界
大戦に拡大する可能性をなくす為 原爆を使うよりは
朝鮮を諦めて日本に撤退することを合意していました。
1月の半ば37度線付近で戦闘が攻勢が一時中断し
たのです。これを米軍は次の大攻勢の準備と判断
し、弱気になった米国は中国に37度線での休戦を
提案しました。
釜山に追い詰められて日本に撤退するよりは妥協
した
方が良いと思ったからです。
その時、中国が提案をは受け入れたらソウルは北の
領土内になり、それに台湾も得る事ができたはずです。
勢いにのった中国は過大な要求をしたので 米国は
休戦を諦めて戦争継続を決心し、早期和平の機会は
消えました。
戦闘が中断した理由は 制空権のない中国軍は補給路が
伸びきって停滞し戦闘が継続できない状態だったようです。
戦闘の中断した時間で建て直しをした国連軍は前進を
はじめソウルの漢江の南岸まで進出しました。
そこで2月攻勢と呼ばれる中国軍の大攻勢が始まった
のです。リジウェイ司令官の率いる米軍はこれを撃退し
3月15日 ソウルを奪回しました。
写真:朝鮮戦争に参加した米軍戦車
安保記念館にて(現在廃館)