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中国軍の攻勢でソウル陥落 (朝鮮戦争8)

中国軍の参戦と退却

清川江ライン(マ線付近)まで退却して体制を整えた国連軍は
中国軍の兵力を7-8万人 北の残存兵力3万と合わせ 10数万と
予想して互角の兵力であり、制空権は完全に確保しているので
勝利を信じていました。

X-マス攻勢と称し国境線をめざして攻撃を再開しました。

ところが 中国軍はさらに増強を重ね40万を超える兵を投入し
待ち受けていました。

衝突と同時に各地で敗退し、マッカーサーは清川江ラインまで
再度の撤退を命じました。
ところが中国軍の攻撃が激しく撤退ではなく退却となり、敗走に
なり 戦線は崩れたのです。

朝鮮半島の一番細い部分のマ線の戦線は維持できない事が
分かり 38度線まで雪の中を後退することになりました。

悪い事は重なり、第8軍のウォーカ司令官は前線視察の際
交通事故で死亡し 新任のリジウェイに代わりました。

マッカーサーは中国軍の介入は新しい戦争が始まった事
として原爆の使用と満州の爆撃を提案しました。
難民

大統領のトルーマンは世界大戦を避けることを基調にして
いたので爆撃の拡大は許さず釜山橋頭堡までの遅滞作戦を
マッカーサーに指示したのです。

国連軍の撤退に予想外に300万人もの難民が米軍の
後からついて来たのです。そして難民の中にゲリラが
混ざっているので多くの難民が死傷する悲劇になり、
米軍も敵と難民との区別が出来なくて苦戦しました。

X-masには38度線を突破されました。
1月4日 ソウルが再度陥落しました。



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