中国軍の参戦と退却(朝鮮戦争7)
米国大統領のトルーマンは世界大戦に拡大することを
防ぐ為 38度線で進撃を止める事を考えていましたが
カッカーサーの強気の主張に折れて 次の停止ラインを
指示しました。
これが 朝鮮半島の一番細い場所で防衛が易しいと
考えられたマッカーサーライン(以後 マ線と表示)です。
38度線を突破した国連軍・韓国軍は10月始めに設定
されたマ線に向かって進撃しました。
マッカーサーは台湾の蒋介石と会談し反共の姿勢を
アピールし 台湾問題で中立の立場を取りたいとする
トルーマンとの意見の対立が増えました。
マッカーサーはマ線では不満足な戦果しか得る事が
出来ないとして 新マ線を設定したのです。これは
承認を得ました。
ところが このラインでも不満としてマッカーサーは
10/24独断で 中国国境の鴨緑江までの進撃を命令し
ソ連のウラジオストックに近い羅津も爆撃しました。
北は首都を平壌から新義州に移し抵抗を続けていました。
10/25 中国軍の攻撃を受けて韓国軍は後退を始め 救援に
向かった米軍も第八騎兵連隊が600名の戦死を出して全滅
各地で 激しい攻撃を受け始めました。
中国軍は林彪指揮下の20万の中国正式軍でした。
11/2 ウオーカー第8軍司令官は退却を命じ 国連軍は
いっせいに
清川江ラインまで後退をはじめました。
写真はソウルの戦争博物館に展示中の鹵獲した戦車