釜山橋頭堡 (朝鮮戦争4)
強力な武器をもった米国を中心とした国連軍が釜山まで追い詰められた主たる原因は
近代装備され、周到に準備された北の軍を甘く見た事です。
もうひとつの大きな原因が難民なのです。
家を焼かれ、戦乱を避けて南下する数百万の難民が釜山に押し寄せて来ました。
北は難民の中に多くのゲリラを侵入させ
難民の影から銃撃し、爆弾を投げたのです。
外国人である国連軍は 顔を見て北のゲリラと
難民の区別など不可能なのは当然です。
いつ背中から弾が飛んでくるか判らないという
緊張感は士気を消耗させます。
北は8月15日の解放記念を釜山で祝うとして激しい
攻勢をかけていました。
北は延びきった補給線と制空権がなく夜間の移動しか
できない中で最後の攻勢をかけ、ソウルやその他の
占領地から強制徴兵した兵を前線に投入し多くの血が
流れました。
国連軍は釜山が最後の砦でなので、必死の防衛をし、
制空権、制海権をもった国連軍は連日 莫大な補給
物資を日本から釜山港に陸揚げしていました。
日本は まだGHQの軍政下にあって米軍の命令で多くの
軍事物資を釜山の国連軍に供給しました。
日本の掃海艇部隊は上陸する前の機雷を除く作業を
担当し 米軍の制海権の確保に勤めていました。